STORY

Start from Scratch #02

「ヤマハYA-1」1989 年制作

高梨 廣孝 2022.08.05

記念すべきモデルは、納屋にあった

初めてスクラッチモデルを制作するに当たって、どの機種を選定するかは大きな問題であった。難し過ぎて途中で挫折してしまうのは避けたいし、何よりも日本のバイク史に名を残すような名車をつくりたかった。

そんな折に耳寄りなニュースが飛び込んできた。浜松市内に住むピアノの調律師 S 氏が、ヤマハ発動機の最初のバイクYA-1 を3台コレクションしており、いつでもお見せするとのこと。早速、訪ねて見ると、レストアされた車が1 台、他の2 台はバラバラの部品の状態で納屋の片隅に立てかけられていた。フェンダーなどは塗色が分からない程、鉄錆が浮いており、シートやニーパッドなどのゴム部品は脱落していたり、大きくひび割れたりして相当傷んでいた。

想像していた姿とは余りにも違うので、一瞬絶句してしまった。しかし、図面を作成するために、部品を詳細に計測するには、これは好都合であった。コンディションが素晴らしいコレクションは、部品を取り外してもらったり、直接ノギスを当てて計測することは遠慮しなくてはならない。この状態なら遠慮することもなく、思う存分に計測することが出来たので、図面を作成するための十分な資料を入手することができた。そして、同じ年の秋、浜名湖のヤマハマリーナで開催された“赤とんぼファンクラブ”の集まりにも参加して取材を重ねた。

こうして集めた資料を元に、1990 年の秋にようやく最初のスクラッチモデル “赤とんぼ”が完成した。

YA-1 のシンプルさが教えてくれたこと

後で分かったことであるが、YA-1 は初めてチャレンジするモデルとしては、最良のバイクであった。「これがバイクである」というような極めてオーソドックスな造りであり、フレーム、エンジン、サスペンションなどは、シンプルながらも高性能車の風格を備えており、何よりも心を惹かれたのは、作りやすく、難しいところが見当たらなかった。バイクの制作で、一番最初に作り始めるのはフレームである。エンジンをはじめとして、すべての部品がフレームに固定されるので、フレームが正確に制作されないと、その後の仕事に支障をきたしてしまう。

空冷2ストローク単気筒の125cc エンジン、マニフォールド、エクゾーストからなるユニットは、YA-1のシンプルさを物語っている。
フレームに、エンジンユニットを仮付けする。制作したフレームの精度を確かめる段階で、とても緊張する。
完成したスクラッチモデルで、エンジンユニットとフレームを、改めて見てみる。フレームに合わせてスラントするエンジン配置、エクゾーストパイプの取り回しとフォルムの美しさへ、メカニカルな部分が貢献している。

YA-1のフレームは、ダブル・クレードルフレームのような複雑さはなく、こんな華奢な構造で強度が保てるかと心配になるほどシンプルなつくりである。改めて眺めてみると、YA-1 は均整の取れた美しいフォルムをしており、無駄なところが一切ない模範的なインダストリアルデザインである。

彫鍛金の技術を生かして、フェンダーは板厚0.5mm の銅板を絞ること、可動チェーンは0.2mm の真鍮板をエッチング加工したものをネックレスのチェーンのようにリベットでかしめて制作することなど、新しい技法を考え出したのも、この時である。

納屋で出会ったYA-1 の部品たち(左)。存分に計測して得られた数値、手にとって感じた質感から、制作したスクラッチモデルの部品たち(右)。

ベースとなったDKW RT125

「YA-1 のベースとなったDKW RT125 とはどんな車だろう」と急に気になり始めた。

デンマーク人で若くしてドイツに渡ったJorgen Skafte Rasmussen は、1904年に友人と二人で旧東独南部のケムニッツに「ラスムッセン&エルンスト有限会社」を設立する。商品開発で失敗を重ねながら1916 年に蒸気で駆動する自動車をつくり出して社名をDKW(Dampf Kraft Wagen)に改称する。1921 年には自転車に122cc のエンジンを取り付けて後輪を駆動する商品を発売すると爆発的なヒット商品となり、1928 年には世界最大のモーターサイクル会社へと発展する。

1930 年後半に入るとHerman Weber の設計によって名車の誉れ高いRT125 が誕生する。122cc、2 ストローク、3 速ミッションを搭載したこの小さなモーターサイクルは、優れた性能が高く評価されドイツ陸軍に重用される。戦争が終結すると、戦勝国は RT125 のその性能に目を付け、戦争賠償を理由にRT125 の図面を手に入れ、数々のコピーモデルをつくり出す。調べて見ればRT125 は、世界のモータサイクルメーカーが注目する名車だったのである。

ヤマハYA-1のベースとなったDKW RT125。ぜひ、メインに置いたYA-1のスクラッチモデルの写真と見比べていただきたい。

制作過程は、写真に残す

制作されたモデルが紛れもなくスクラッチモデルであることを示すために制作過程を写真に残し、将来作品集をつくる時に役立つレベルの写真が残せるよう、カメラ機材を整えることを考えた。まだフィルム全盛の時代であり、手軽に撮影できる中判一眼レフASAHIPENTAX 67 とアオリ撮影をするためにロールフィルムホルダー付きのビューカメラCAMBO を購入した。モデル撮影した写真が、如何に実車に近い姿に表現できるかを目標に掲げて、いろいろチャレンジしてみた。その姿勢は今も変わっておらず、現在はミラーレス一眼レフにシフトレンズを付けて撮影している。

スクラッチモデルに蘇ったYA-1を左上から俯瞰する。

ヤマハ発動機が1955 年に発売した栗毛色の駿馬、YA-1。独創のマルーン色から「赤とんぼ」として親しまれた。次回は、スクラッチモデルづくりを一休みして、YA-1 は、日本のインダストリアル・デザインの先駆けであったことを記していきたい。

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