大矢麻里&アキオの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #07
思い出は屋台の香りとともに ― イタリアのカーニバル菓子
大矢 麻里 2023.03.03ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。
実は「断食期間」だった
イタリアの2月から3月は、まさに「カーニバル」の季節です。世界各地で開催される祭ですが、その発祥を知る機会は意外と少ないかもしれません。
カーニバルのルーツは、「イースター(復活祭)」を知るとわかってきます。まず、イースターは十字架で処刑されたイエス・キリストが3日後に甦ったことを祝うものです。「春分後、最初の満月の次の日曜日」と定められているため、毎年日付が変わります。そのイースター前の40日間は、「受難節」または「四旬節」と呼ばれます。かつてヨーロッパのキリスト教徒は、イエスが荒野で行った断食修行にちなみ、復活祭の前は禁欲期間として過ごしていました。人々は断食をするか、肉料理を断って暮らしたのです。
ラテン語で肉はcarnem、取り除くは levareといいます。双方を合わせたCarnemlevareは肉を除く、つまり肉を口にしないという意味になります。「カーニバル」という言葉の語源です。ところが時代と共に、禁欲期間の過ごし方は変容していきました。「制限のある厳しい生活が始まる直前は、せめて羽目をはずして楽しもう!」という世俗性のほうが色濃くなったのです。これこそ、今日私たちが目にする祭りとしてのカーニバルです。
この季節だけ、屋台で
この季節、ベーカリーやお菓子屋さんにはカーニバルの限定菓子が並びます。
ひとつは、薄く伸ばした生地を短冊状に切って揚げてから、粉砂糖をふりかけたもの。サクサクっとした軽い食感は、つまみ喰いを始めたら最後、なかなか止められません。このお菓子、エリアによって名前が異なります。祭りに集まった仲間と談笑しながら食べる習慣から、おしゃべりを意味する「キャッケレ」と名付けたり、その見た目から布の端切れを表す「チェンチ」と呼ぶ地方もあります。
こうしたローカルな呼称が色濃く残るのは、僅か160数年前まで小国が点在していたイタリア半島ならではのものです。
もうひとつ、この季節のお菓子といえば、小さな丸い揚げドーナツです。フィリング(詰め物)がないシンプルなものから、クリームやリコッタチーズを入れたものもあります。こちらも「フリッテッレ」「トルテッリ」「カスタニョーレ」など、地域ごとに独特の名前で親しまれています。また、中部トスカーナ地方では、牛乳で炊いたお米を生地に混ぜて作ります。街にはこの期間だけ、ドーナツの専用屋台が立ちます。
それぞれの世代、それぞれのカーニバル
カーニバルの時期、子どもたちは好みの仮装をして広場に繰り出すのが定番です。日本の子どもが「七五三」に着飾るのに少し似ています。最初のうちはコリアンドロ(紙吹雪)を巻いて楽しんでいますが、やがて空腹に絶えられなくなり、親にせがんでカーニバル菓子を屋台で買ってもらいます。
そうした光景を眺めながら、ご近所さんで第二次大戦中生まれのお年寄りは、こう話します。「昔はどの家も貧しくて、お菓子なんて祭りにしか食べられなかったよ」。砂糖が貴重だった時代、カーニバルの時だけマンマがこしらえる揚げ菓子は、お腹だけでなく心も満たす特別なものだったに違いありません。
どの世代のイタリア人にとっても、カーニバル菓子は、街に漂うその香りとともに幼き日の思い出なのです。