ヒマラヤの麓、道なき道を駆け抜けろ! 「モト・ヒマラヤ 2022」#02
8日間のライディング・ツアーがスタート
田中 誠司 ロイヤルエンフィールド・ヒマラヤ 2022.08.16ロイヤルエンフィールドの母国・インド北部をめぐる旅。デリー空港の混乱を切り抜けたパルクフェルメ(PF)編集スタッフは、高度順応のため2日間をラダック地方中心部の街、レーで過ごしたあと、いよいよライディングツアーのスタートを迎えた。
ラダックの中心都市、レーを歩く
高度順応の2日目。午前中、散歩に出かけようとしたら日本からご一緒したチームの人々と出会い、我々が明日から走らせるマシーンの在り処を教えてもらった。ホテルの地下に20台以上並んだロイヤルエンフィールド・ヒマラヤは、まだ日本に入ってきていない3つのニューカラーに彩られていた。
日本では奥多摩を巡るツーリングの際に数時間、ヒマラヤを走らせる機会があった。エンジン性能やシャシーの受容力を、あえてアドベンチャー・バイクとして必要不可欠な範囲に絞り込み、華奢にすら思えるものの、扱いやすさに徹底して配慮しているのがヒマラヤの特徴だ。
バイクを眺めたり、チームの皆と話している間に街を散歩する時間が後倒しになり、昼を回ってしまった。
一番暑い時間、といっても気温は23度しかないはずなのだが、日差しの強さがとにかく強烈で、体感的には35度位あるように思える。酸素不足の息苦しさ以上に、暑さゆえ歩くペースを早めることができない。
街の中心部に近いところでも、ほぼ数分ごとに散歩しているヤクと出くわす。"Where do they all belong?" と、ジョージ・ハリスンが歌う一節が思い浮かぶ。彼らは一体どこに属しているのだろうか。車がかなり飛ばしてくる2車線道路のど真ん中に立ち尽くしているシーンもあって、しばしば事故や交通の混乱の大きな原因になるというのはよくわかる。
同様によく見かける犬たちは皆、日陰に入って死んだようにぐったりと昼寝をしている。動く陰に従って仕方なく移動する彼らは夜になるとすっかり元気になって、街から人の数が減ったのいいことに、吠え散らかして自己主張する。夜には目を光らせ、獰猛になって喧嘩を始める。少し怖い。
3人乗りでノーヘルのスクーターもよく見かけた。前には子供が乗っていて、お母さんが後ろ。運転するお父さんは片手で携帯電話をかけている。そんなに急ぎの用事があるのだろうか。近所の親戚らしき人がそのバイクを止めて挨拶。子供にキスをしている。
標高3,500メートルの高地には虫が少ない。そのせいかホテルの窓には網戸がないので、部屋からの眺望はなかなかだ。しかし食事もできるテラスはもっと景色の良いところに構えられていて、雪をかぶった高山が一望できる。時折巨大な音を立てて軍用機がその上を通り過ぎる。レーの空港は民間と軍用が混在しており、軍事基地も近所にあり異彩を放っている。
レーではレンタカーよりロイヤルエンフィールドがメジャー
レーの街にはバイクショップが無数にあって、そのほとんどはロイヤルフィールドを貸し出している。うち半分くらいはヒマラヤではないだろうか。
これに対して4輪の乗用車を貸すレンタカー屋はほとんど見かけない。さらに、この街にはホテルや大きなレストランは別として、一般の有料駐車場がほとんど存在しない。だからバイクに頼る人も多いのだろう。
翌日からのライディングに備えて、夕方、参加者たちを集めたブリーフィングがホテルのテラスで開かれた。まずは今回のツアーに同行してくれる医師が血圧や酸素飽和度を測定し、呼吸状況をチェックしてくれる。医師によれば、高山病の主な症状である目眩、不眠、頭痛は通常、1〜2日で回復するそうだ。
20台のロイヤルエンフィールドは、引率するアジェのバイクと殿(しんがり)を務めるジェティンのバイクに挟まれて走行するルールだ。さらに後方には、ロイヤルエンフィールドのキャッチフレーズである”made like a gun”にちなみ「ガンワゴン」と名付けられ、メカニックのユブラージを乗せたサポートカーと参加者の荷物を載せるラゲッジカー、そして医師を乗せたメディカルカーが追従する。当日の予定は天候などに応じて前日に決めるシステムで、情報伝達に間違いがないようにと指定されたディナーの場所に置かれたホワイトボードに夜8時に掲示されることに決まっている。通信状況が悪い地域に宿泊するので、これが最も確実なのだという。
初日から汚水の洗礼
初日の今日は朝の10時スタートで、インダス川とザンスカール川が合流する「コンフルエンス」と呼ばれる地点を目指す往復75キロの道のりだ。8日間の日程で、日によっては200キロ以上走ることもあるので、今日は肩慣らしと言える。
レーの市街地を抜けると、いきなり日本で言う一級国道のような、片側通行ながらかなり道もいいし、スピードも出せる道に入る。目的地までは二箇所しか曲がらないそうで、ただ前のバイクについていけばいいだけだと言われる。流れていれば80〜90km/h程度と、先導車はなかなかいいペースで飛ばす。
飛行機の上から見えた、まるでおろし金のような無数の山々を、道路以外に何も見えない盆地の真ん中から眺める。言葉を失う大パノラマだ。一体どうしてこんな刺々しいカタチをしているのだろう。
問題は交通の中に、かなりのんびり走っているトラックや小さなスズキのミニバン、あるいは景色を見ながら走っているモーターサイクルが混在していることだ。逆に先をとにかく急ぐ地元民も多い。それゆえ、適度なペースで走るためには適切なタイミングで追い越しをかける必要があるし、そうしなければかなりこちらが無謀な追い越しをかけられることもある。
今日のコースにオフロードはないと伝えられていたが、途中で道路が軽く冠水している箇所があった。前のクルマに続いてゆっくり濡れないように通ろうと減速したところ、新し目のフォードのミニバンが横から抜きにかかってくるではないか。あっと思ったときにはヘルメットからブーツまで、この世で最も汚いんじゃないかと思うような茶色い水をぶっかけられた。
この野郎! と、自分の左手の中指が自然に天を向いた。そういう下品なことはし慣れないつもりなのだが。ゼッケン9のヒマラヤは、何事もなかったかのように穏やかな加速を続ける。頭に血が上って追いかけようと思っても、24.3馬力のこのバイクでは無謀運転のクルマには敵わないのだった。
ふたつの川が合流する「コンフルエンス」では、時期によっては清流のザンスカール川が濁ったインダス川に飲み込まれていくダイナミックなシーンが見られるようだが、この日はザンスカール川も濁っていて、特別なビューを眺めることは叶わなかった。この地域の周辺にはわれわれモト・ヒマラヤ2022の一群以外にも多くのロイヤルエンフィールド・ヒマラヤが走っていて、ひとつのアイコンになっているらしく、観光客から2度も「すみません、バイクにまたがって写真を撮っていいですか?」と尋ねられた。
往復の帰路はよりリラックスして景色を眺めながら戻ってくることができた。それでも途中でヤクだか牛だかが悠然と私の前で道路を横断してきたシーンでは驚いた。
よく整備された道路沿いにはしばしば交通標語の看板が現れて、ドライバーやライダーの注意を促す。ユニークなのはいくつもあったが、覚えているのは"Life is short. Do not make it much shorter." というやつだ。わざわざ冒険をしにきている身には耳が痛い。
明日から2日間は電波の届かないところに行くので、その日の出来事をお伝えするリポートは一旦中断する。