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ガンディーニ初期の名作「アルファ・ロメオ・モントリオール」:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#013

伊東和彦/Mobi-curators Labo. アルファ・ロメオ・モントリオール 2024.04.17

輸入車販売会社から雑誌記者に身を転じ、ヒストリックカー専門誌の編集長に就任、自動車史研究の第一人者であり続ける著者が、“引き出し“の奥に秘蔵してきた「クルマ好き人生」の有り様を、PF読者に明かしてくれる連載。

雨上がりの新緑のような

すでに多くのメディアで報じられているように、2024年3月13日、イタリアのカーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が逝去した。享年85であった。

私は出版社勤務時代の1992年12月に、イタリアのカロッツェリアの世界で働いた経験のある過多の紹介で単独インタビューをおこなったことがあった。1時間以上に渡って、さまざまクルマのこと、デザインの話を聞くことができた。そうした経験から、デザイン界の巨人の訃報には衝撃を受けた。

今回はマルチェロ・ガンディーニ氏にとって初期の作品である、「アルファ・ロメオ・モントリオール」を目撃した日のことを書いてみることにした。

わが家の近所での「アルファ・ロメオ・スプリント・スペチアーレ」との遭遇(連載#006に記載)から暫くして、またもや近所に住むクルマ仲間のI君が息せき切って現れると、「モントリオールが公園の横に停まっている」と告げた。

児童公園の横にパークしていたモントリオール。雨が描いた流線が綺麗に思えた。

彼はそれだけを言い残すと、カメラを取りに行くからと自宅へ走って戻っていった。私はといえば、アメリカ東部で身につけてきたネイティブ発音で「モントリオール」と言われても、突然のことでピンと来なかったのだが……。

公園に行くと、鮮やかなメタリックグリーンに塗られたアルファ・ロメオ・モントリオールが佇んでいた。雨の中を走ってきたのだろう、ボディには水滴の痕跡が流線を描き、躍動感と速度感が見て取れた。

モントリオールというニューモデルが登場したことは自動車専門誌で知っていたが、詳しい記事はまだ読んだことはなく、それ以上にもう輸入されていたことに驚かされた。

雨上がりの児童公園には子供が集まりかけていたし、路上駐車でもあったから、「いつ走り去るかもしれない」と考え、最低の枚数だけ撮影してから、じっくりと見ることに徹した。

それまでのアルファ・ロメオのラインナップからは異端に思えるデザインだが、写真でみたときよりずっと美しく、魅力的だと思った。その理由のひとつが、アルファ・ロメオでは観たことがないシックな塗色ではなかったと思う。実際、アルファ・ロメオといえば、赤や白色ばかりだったころ、このメタリックグリーンは実に新鮮に見えた。

当時はモノクロフィルムでの撮影がほとんどだったので、メーカーの広報写真を掲げておく。アルファ・ロメオのSUV、「トナーレ」にはモントリオール・グリーンと名付けられた塗色がある。(FCA Archives)

そういえば、2022年にアルファ・ロメオが放ったSUVの第2弾、「トナーレ」にはモントリオール・グリーンと呼ばれるとボディカラーがあるが、その名の由来がこれであろう。

あとで知ったことだが、伊藤忠オートは9台のモントリオールを正規輸入し、このモントリオール・グリーンのクルマはそのうちの1台だった。

ちなみにモントリオールの日本上陸は、当時の資料によれば1973年頃からであり、同年4月には最初のクルマが登録を終え、8台が73年中に、1台が74年に登録されている。価格はアルファ・ロメオのラインナップでは最も高価な770万円だが、立て続けに9台が販売されていたのは驚きだ。

スプリント・スペチアーレといい、モントリオールといい、日本では稀少なアルファ・ロメオに自宅の近くで遭遇したのは幸運としか言いようがない。モントリオールが発する2リッターV8エンジンの排気音が聞きたいと、私たちは公園でオーナーが現れるのを待ち続けた。V8エンジンといえば、大排気量のアメリカ車が主流だったころ、排気量が小さなV8の音色が気に興味津々だったたからだ。だが、夕方まで待ってもその機会は訪れなかった。

ガンディーニが好んだ“まぶた”の構造が、この日によく分かった。

モントリール万博の華

冒頭からちょっと硬い話になるが、世界の最先端技術が集まる万国博覧会では、黎明期の自動車は重要な展示物だった。誕生したばかりの自動車が大きな忠告を浴びたのは、1900年のパリ万博であったといわれ、5000万人が来場し、フェルディナント・ポルシェが考案した電気自動車が近未来の新しい移動手段の出現として大きな注目を浴びた。

アルファ・ロメオが発表当時に公開した、モントリオール万博に空輸する際の写真。博覧会に展示したのはプロトタイプであり、その後の生産型とは多少、細部が異なる。(FCA Archives)

ティーポ33由来のV8を搭載

近代の万国博覧会でも自動車が各国のパビリオンの花形になることは少なくなかった。1967年に開催されたモントリオール万博(EXPO 1967)では、アルファ・ロメオがその名も“モントリオール”を出品した。

「ジュリアGT」をベースとしたシャシーに、レーシング・プロトタイプのティーポ33用として世に出た2リッター、4カムV8から派生した2593ccエンジンにスピカ製機械式燃料噴射を備えて、9.0の圧縮比から230ps/6500rpmと27.5kgm/4750rpmを発揮した。当時、アルファ・ロメオのカタログモデルのなかでは最も高性能(パワフル)であり、トップスピードは220km/hに達した。

ベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニが描き出したスタイリングは、ほぼ万博展示車のまま1970年から生産化に移され、1977年頃までに約3700台が造られた。

こうして見ると、リアビューはランボルギーニ・ミウラに似ていると思うが。(FCA Archives)

少年のあの日の目撃体験と、そのエンジンの素性、そしてスタイリングに参ってしまい、就職してから、手放す可能性があるという手頃価格の中古モントリオールに試乗したことがあったが、「ほしいな」、「維持できるかな」、「冒険してみるかな」などなどとウダウダと考えている間に時期を逸した。手元には、悩んでいた次期に洋書店から入手したハンドブックがまだ残っている。あのグリーンのモントリオールは、どこかで健在なのだろうか?

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