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名作「コオロギ電話」で考える開発サイクル:大矢麻里&アキオ ロレンツォの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #14

大矢 アキオ ロレンツォ 2024.01.06

ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。

四半世紀も先駆けていた

我が街シエナに1軒のリサイクルショップがある。足繁く通っていてわかるのは、「こんなもの売れるのか」と思うような地元風景を描いた絵画や、前の持ち主の魂が乗り移っているに違いないような家具が、右から左へと売れていくことだ。前者は郷土愛の持ち主が、後者はこつこつ修復する人が少なくないからである。

いっぽう筆者自身が面白がっているのは、そうしたローカル人気商品の陰で、吹き溜まりのようになっている棚だ。実際、店のいちばん奥にある。先日そこで発見したのは、1台の電話機である。名前を「グリッロ」という。Grilloとはイタリア語でコオロギを指す。実際、形状はコオロギの丸い頭とそれに続く背や羽根を見る者に彷彿とさせる。

我が街シエナのリサイクルショップで発見したグリッロ。

誕生したのは1965年。製造はシーメンスのイタリア法人「SITシーメンス」である。だが、それ以上に大切なのは、イタリア戦後工業デザイン史に残る名作であることだ。デザイナーは、カッシーナ製家具なども手掛けたマルコ・ザヌーソ(1916-2001)と、アレッシィの家庭用品開発にたびたび参画したことで知られるリヒャルト・ザッパー(1932-2015)である。いずれも歴史に残る巨星である。

材質にはABS樹脂が用いられ、従来の電話機と比較して格段に軽かった。電話機を持ち上げるだけでマイク部分が開き、閉じれば通話が終了するように設計されていた。すなわち約四半世紀後の1990年代に普及したフリップ型携帯電話の先駆けであった。さらに機械式着信ベルをプラグ部分に内蔵することで、本体のさらなる軽量化が図られていた。参考までに、イタリア「企業およびメイド・イン・イタリー省」の資料によれば、そのベル音がコオロギの鳴き声に似ていたことから、命名するきっかけになったとされている。

グリッロは発表から2年後の1967年、イタリアの著名なデザインアワード「コンパッソ・ドーロ」を受賞。大西洋の向こうではニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久所蔵品にも選ばれている。

家庭用電話機「グリッロ」と、その木型。ミラノ「ADIデザインミュージアム・コンパッソ・ドーロ」の展示から。

そうした名作にもかかわらず、リサイクルショップでの値札を見ると、17ユーロ(約2600円)であった。それも2023年3月入荷の記録があるから、すでに半年以上売れ残っていることになる。念のため一般のオークションサイトも閲覧してみた。美品と思われる100ユーロの品もみられるが、大半はそれ以下だ。長い歴史をもつイタリアでは20世紀、それも第二次世界大戦後のプロダクトは、まだまだ興味をもつ人が限られている。

往年におけるグリッロのカタログ。「ADIデザインミュージアム・コンパッソ・ドーロ」の展示から。

その永続性は、どうだ

それはともかく、底面を見るとGRILLOとともに、「PROPRIETA’ SIP」と記されている。SIP(シップと読む)とは、イタリアで1997年に電気通信事業が民営化される前まで存在した電信電話公社の略称である。ちなみにこのSIP、1964年からは当時のアルファ・ロメオと同じくイタリア産業復興公社(IRI)の傘下にあった。

背面には製品名とともに「所有権はSIP」の文字が。

PROPRIETA’ SIPとはSIP所有を意味する。モダンな電話機グリッロも、当時は他の標準型電話機同様、公社からのレンタル品として加入者に貸与されるかたちだったのである。日本で電電公社時代の黒電話や、初期の自動車電話がレンタル扱いだったのと同じだ。

官庁、公社など一定の権力をもった機関のもと、限定された競争下での製品開発体制が健全であるとは言い難い。しかし、今回記した電話に関していえば、公社による長い供給期間を考えていたからこそ、デザイナーを含む開発者の高い意気込みがあり、ひいては秀逸かつ永続的に評価される製品が誕生したと読める。

閉じた時のサイズは7×16.5×8.5cm。ホールド感も申し分ない。

それは同じイタリアの電話機で、ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた1987年の電話機「シーリオ」にも当てはまる。実際、前述の民営化後も長く標準型として供給された。筆者が初めてイタリアで電話を引いたとき、工事スタッフが置いていったのもシーリオだった。1996年のことだから、やはり採用から10年近く経過していたことになる。

ジウジアーロによるSIP「シーリオ」。(photo:Italdesign)

日本の電電公社時代の家庭用電話機デザインも秀逸なものがあった。1972年の600Pプッシュ式電話は、今日見ても清涼感あるデザインだ。従来のダイヤル式に代わる新技術を、いかに親しみあるインターフェイスとするかに苦労した跡が窺える。

東京23区内にあるビジネス電話工事店のコレクション。1972年600Pプッシュ式(左)と、1970年代初頭のものと思われる600型ダイヤル式(右)。

今日スマートフォンは年に一度、いやブランドによってはそれ以下の短いサイクルで新型がリリースされている。にもかかわらず、グリッロのような永続性を備えていると思われるデザインは皆無である。家電量販店を訪れるたび、複雑な心境になる。

Photo by Akio Lorenzo OYA, Italdesign

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