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Think Small―小さなクルマと、シンプルなクルマ #04

ルノー16がもたらしたもの

伊東 和彦 ルノー16 2022.07.24

このクルマこそクロスオーバーカーの祖ではなかったのか

新型トヨタ・クラウン発表会をオンラインで観ていた。車両説明のなかで何度かクロスオーバーを謳っていた。早とちりの私は、てっきり5ドア・ハッチバック・ボディを持つクラウンが現れたのかと驚いたが、そうではなかった。クラウンの場合では、クロスオーバーとは「SUVのひとつのカテゴリーであり、街乗りでの快適性を重視した都市型のSUV」(トヨタモビリティ東京HPによる)を示すとあった。

改めて“Crossover”の意味を辞書で調べてみると、「異なる分野・ジャンルや作品世界の要素を組み合わせて生み出された新規性、および、そのような方法で新規性を得た作品などを指す表現」(Weblioによる)とあった。二つの方向性が違う要素を融合させたもの(クルマ)というわけだろう。

そんなことを考えていると、「ルノー16」(R16)を思い出した。快適なセダンにハッチゲート付きの荷室を組み合わせることで、ユーザーの使い勝手を追い求めたR16こそ、1960年代のクロスオーバーカーではなかったのかと、思ったのだ。

ルノー16は、1965年11月のジュネーヴ・モーターショーで初公開され、66年のカー・オブ・ザ・イヤーを得た、ルノー社のみならず1960年代の小型車の最高傑作である。

photo: Renault Archives ルノー16は多用途に使うことができるセダンとして、ハッチゲートを備えて登場したアッパーミドルカーだった。

ルノー16は、アッパーミドル級の乗用車といえば、3ボックス型が一般的であった時期に登場した5ドアのアッパーミドル・サルーンとして初の成功作といわれ、当時としては前例のないレベルの汎用性を備えたクルマだった。

その発芽となったのは、戦後のベビーブームで急増した自動車需要のなか、1961年に登場した「ルノー4」(R4)だ。それはフランスで大ヒットしていた「シトロエン2CV」に対抗するために、2CVを研究し尽くして誕生したモデルであり、ルノー製乗用車としては初めて前輪駆動を採用したものの、空冷2気筒水平対向に対して水冷4気筒エンジンを選び、2CVとの真っ向対決を避けた。

photo: Renault Archives 1961年に登場したルノー4は、ハッチゲートを採用した小型量産車として初の成功例になった。

ルノー4にとって最大の売りものだったのが、小型のステーションワゴン型ボディを持つことで、乗用車ながら“1枚もの”のテールゲートを量産車に採用した、初の成功例になった。発売から4年半後の1966年2月1日には生産が100万台を超えた事実を見れば、発売と同時にヒットしたことがわかる(1994年の生産終了までに800万台超を生産)。

ルノー4の成功に触発され、1967年にはシトロエンがハッチゲートを備えた「ディアーヌ」を2CVの上級モデルとして発売。フランスを中心として欧州圏での、ハッチゲートを備えたファミリーカーの誕生が相次いでいった。話は飛ぶが、こうした下地が1974年の初代「VWゴルフ」誕生の背景にあるといえるだろう。

1967年にはシトロエンがハッチゲートを備えたディアーヌを発売。これハッチゲートを備えたファミリーカーの誕生が相次いでいく。

ルノー4は優れた実用車だったが、マーケットの拡大とともに上級モデルが望まれる環境となって、ルノー16が誕生した。

1955年から75年までルノーのCEOを務めたピエール・ドレフュスは、「クルマは、もはや4個の座席と荷室だけでは不充分だ」と、新しいセダンの形態が生まれた背景を述べている。その発言が意味するところは、3ボックス型にはとらわれない多用途性を盛り込んだ乗用車だった。この意図を元に、ルノーのガストン・ジュシェがスタイリングを描き出した。シートは快適なことはもちろん、折り畳んだり、リクライニングさせたり、取り外してしまったりと、豊富なアレンジを可能としていることが注目された。現在では驚くことでもないが、ルノーがR16を放ったころには、アッパーミドルの乗用車としては先例のない画期的なことだった。

photo: Renault Archives 上:大量の荷物を積んでのバカンスも可能と訴求する。左下:ルノー16のカタログでは、このようにシートアレンジが変幻自在であることを述べている。右下:プラスチックの素材感を前面に打ち出したかのような意匠のダッシュパネル。このように縦置きされたエンジンは車室内に入り込んでいる。

ルノーはR4と同様に前輪駆動レイアウトを採用し、新開発のA1K型、OHV、1470ccを搭載した。前輪駆動によって、フラットなフロアと大きく広い荷室を実現させた。ライバル製のものとは根本的に異なる、日乗の足からバカンスでの長旅もこなす、万能のファミリーカーを誕生させたのである。果たして、1966年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーに選出された。

photo: Renault Archives アルミニウムを多用したエンジンはめずらしかった。1968年からは1565ccエンジン搭載のTSバージョン(Tourisme Sportif)が、1975年には1647ccのTXが導入された。

言い忘れたが、ホイールベースは2720 mm(左)/2650 mm(右)と、左右で70mm異なっている。これは横置きトーションバーによるトレーリングアーム式リアサスペンションの採用が理由で、トーションバーの寸法を可能な限り長くするため、左右の2本を横方向に並べて配置しためである。言うまでもなく快適なサスペンションとするためだ。

日本でルノー16について的確な論評を残したのは、映画監督、俳優、エッセイストなど多方面で活躍した故・伊丹十三氏(1933〜1997年)だろう。伊丹氏が1968年に発表した『女たちよ!』の中で、リンカーン米国大統領の名言になぞらえ、ルノー16について「フランス人の、フランス人による、フランス人のための車」と記している(新潮文庫_216ページより)。本書のなかで伊丹氏は、フランス人がなにをクルマに求めているかを、ルノー16を例に上げて7ページを費やして語っている。この中でいかにクルマにとってシートの出来が重要であるかについて言及し、ルノー16のシートがいかに快適であるかを明らかにしている。

photo: Renault Archives 前輪駆動レイアウトは、R16クラスのクルマではめずらしかった。4気筒エンジンを縦置きするが、前方にトランスアクスルを配置している。

話が伊丹十三氏のエッセイにおよんだので付記しておくと、『ヨーロッパ退屈日記』と『再び女たちよ!』(ともに新潮文庫)のなかには、ジャガーEタイプや、氏の足であったマークⅡ3.4サルーンや、“真っ赤な”ロータス・エランなどが登場し、巧みなクルマ表現が痛快である。私は、これを書くために再読したが、何度読んでもおもしろかった。

ルノー16が1965年11月のジュネーヴでデビューしたと記したが、同時期にトヨタは、日本車としては初の試みとなるコロナ5ドアを発表している。4ドア・セダン、2ドア・ハードトップ(日本初)のラインアップに追加したモデルだった。だが、まだモータリゼーション黎明期(マイカー時代の到来と言った)の日本では、セダンらしくないスタイリングゆえにユーザーにとっては異質なモデルと捉えられ、ハードトップが好評だったのに対して、5ドアは少数の販売だけで消滅した。たとえ、ルノー16のようにクロスオーバーな性格が盛り込まれていたとしても、このころの日本にはコロナ5ドアの誕生は時期尚早であったのだろう。

photo: トヨタ自動車(カタログより) ルノー16の登場と同時期の1965年11月。トヨタは日本車としては初の試みとなるコロナ5ドアを発表した。当時の日本では、コロナ5ドアのコンセプトは理解されず、少数の販売だけで終わった。時期尚早であったのだろう。

読者の方々からは、ルノー16が拙稿のシリーズタイトルの『Think Small』に相応しいかという疑問が投げかけられるかもしれない。ルノー16の寸法は、全長4240×全幅1628×全高1450mmだ。当時は大きなクルマだと思ったが、現在の街の中ではだいぶ小さいクルマだから、こじつけではないと思うのだが、いかがだろうか。

photo: Renault Archives ルノー16では、全長4240mmに対して、WBを2720 mm(左)/2650 mm(右)と長めにとっているため、リアシート座面にはホイールハウスが侵入していない。
photo: LOTUS Archives ルノー16の前輪駆動システムを採用してコーリン・チャプマンは、安価ながら、ハンドリング性能に優れたミドシップ・スポーツカー、ヨーロッパを完成させた。

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