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トレイルランニングの“レジェンド”鏑木 毅が語る「モノ」へのこだわり:#01 トレラン黎明期とウェアの進化

佐々木 希 2024.11.22

平坦な舗装路を走るロードランニング、山道を歩くマウンテンクライミングは、それぞれ自らの身体を駆使した挑戦として高い人気を集めている。トレイルランニング(トレラン)は、これらふたつの要素をハイブリッドに組み合わせ、主に山道を走り抜ける、比較的新しいスポーツだ。

鏑木 毅氏は、その世界的なレースUTMB(Ultra-Trail du Mont-Blanc)における日本人歴代最高の3位を含め、国内外で輝かしい実績を挙げた、日本で最も著名なトレイルランナーだ。56歳の現在もプロ競技者として100マイル(≒160km)レースへの挑戦を続けつつ、ITRA(国際トレイルランニング協会)理事、日本トレイルランナーズ協会会長、Mt.FUJI 100大会会長といった要職を務め、日本各地のレースイベントのコース監修、日本経済新聞コラム連載など、東奔西走している。

そんな鏑木選手が、PARCFERME独自の視点からの「モノ」にかかわるロング・インタビューを受けてくれた。気候や路面の変化と闘いながら自己のパフォーマンスを最大限発揮することを目指すトレイルランニングにおいて、ランナーはどんな観点でギアやツールを選ぶべきなのか。全6回の連載企画としてお届けする。

質問に丁寧に答えてくれる鏑木氏。つい聞きたいことが溢れてしばしば脱線しても、快くそれにも答えてくださった。

——現在では多くのメーカーから多彩なトレラン用品が販売されています。その技術革新は、どのように進んだのでしょう?

鏑木 毅(以下、鏑木): トレランギアの技術革新はここ5〜6年が特に大きいですね。2020年ごろからザックやシューズの設計が大きく進化し、シューズへのカーボン素材の導入も始まりました。

もう少し時計の針を戻すと、2010年ごろから世界的にトレイルランニングが盛り上がり始め、UTMBなどの大会が注目され、商品開発が加速しました。日本でも2009年UTMBでの私の3位入賞や、2012年UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)を特集した番組がNHKで放映され、トレランに対する関心が高まりました。

私がこのスポーツを始めた28年前にはトレラン“専用”のギアはまだ存在せず、ランニング用や登山用のものから用途に近いものを選んで使用するしかない時代が長く続きました。例えばトレランザックだったら、デイパックみたいなカジュアルなものを使ったり、あるいは登山用の容量が大きいものを使ったり。シューズで言えばランニングシューズを履いたり、場合によってはトレッキングシューズみたいなものを選んだり。

しかしトレランは、環境は登山、使われ方はランニングですから、そのどちらの要素も兼ね備える必要があります。そこで2010年ごろからトレランギアという独自のカテゴリーが確立され、技術者が試行錯誤を繰り返し、最適な製品を作る環境が整っています。現在では、ハイレベルなレースやより厳しい環境で走ることを前提に、「そんなところまで気にするんだ」とこちらが驚くほど深掘りして、本当に核心に迫るような水準になってきましたね。

トレイルランニングというスポーツは、ランニングメーカーだけでなく、アウトドアメーカーが先行して引っ張ってきた歴史があるので、どうしても”山寄り”に向いてしまう傾向があって、ギアも今から考えればすごく重めなものが多かった。それらが長い時間をかけて軽量化されて今日に至るというわけです。

(左)舗装路を走るのとはまるで違う。激しい動き、色々なサーフェス、などに対応できる専用のギアが、トレイルランニングには欠かせない。(右)2006年ハセツネカップ2位のときに着ていたウェア。当時は開襟のデザインが流行りだったようだ。

——初心者の方々にとってまず気になるのはウェアだと思いますが、その進化について教えてください。

鏑木:ジャケットの進化が非常に大きいです。雨や寒さに備えるため、昔は登山用のようなゴワゴワしたジャケットを使っていましたが、今では走るために適した、ストレスのないデザインにどんどん改良されています。

特にトレイルランニングで重要な、フードをかぶっても前後の状況を確認しやすい視認性や、動きやすさ、軽さが格段に進化を遂げました。

素材の面でも、昔はジャケットを着ていると蒸れてしまい、脱げば寒く、着れば暑いという状況でしたが、今ではどんなコンディションでも快適に着続けられるものが開発されています。これほどのスペックにもかかわらず、非常に軽く仕上がっていることにも驚きます。

また、レインパンツについても改良が進み、シューズを脱がずに脱ぎ着できるよう、側面にフルジップ(側面のジッパーにより上から下まで開けられる)を設けたものも登場しました。

さらに最新モデルでは、着用したままウエスト部分に固定して簡易的な収納ができるシステムにより、ジッパーをすべて引き上げて脚の部分を腰に巻きつければ、そのまま走れます。 袋に詰めてザックに仕舞う収納の手間もなく、レース中にもとても便利な装備です。

ザ・ノース・フェイス「フューチャーライトパラボラパンツ(ユニセックス)」
https://www.goldwin.co.jp/ap/item/i/m/NP12473

(上)2024年6月1日、赤城山トレイルランニングレース攻略セミナーで自身のトレランの原点だという赤城山をバックに。(左)実践講義二日目は、雨が降ったり止んだりするなか行われた。こんな日はザ・ノース・フェイス「フューチャーライトパラボラパンツ(ユニセックス)」が大活躍。雨が一旦止んで、走っていて暑い。そこで、パンツを脱ぐ。(右)フルジップなので、このように完全に脱いでザックにしまわずとりあえず腰に巻きつけておくことができる。また必要に応じてファスナーを下ろせばパンツに。

——トレランシューズについても、技術の進歩は著しいと伺いました。

鏑木:初期の頃は本当に試行錯誤の連続でした。ランニング用のシューズやトレッキング用のシューズを使っていましたが、どちらもトレランに特化したものではなく、滑ったり重かったりで走りにくい。

しかし、軽量化が進み、カーボン素材の導入などの技術革新が起こり、トレランシューズは飛躍的に進化しました。今ではアウトソールにラグ(ゴムの突起)を持ちながらも、ロードや林道も軽やかに走れるシューズが登場しています。技術の進化により、走りの効率が格段に向上しました。

最新のカーボンシューズは、従来以上に反発力が向上しており、私のように年齢とともに脚力が落ちてきたランナーでも、シューズの力でその衰えを補うことができると感じます。時にはシューズに助けられすぎて、これでいいのかと感じることもあります。それでも、新しい技術がスポーツを進化させていくことは間違いありませんし、それを試す楽しさもあります。今後もさらなる技術革新に期待しています。

2022年10月15日SEOUL 100K 男子12位でゴール。このときのシューズは、ザ・ノース・フェイス「フライト ベクティブ」。テーピングはレース時は特に入念にしている。体中テーピングだらけだそう。

——そうした近年の技術開発に、鏑木さんをはじめとするトップランナーはどう関与しているのでしょう? 記憶に残っている製品はありますか?

鏑木:最近では、メーカーから新しいシューズやギアのプロトタイプが渡され、私たちアスリートがテストを行います。そこからフィードバックを行い、例えばシューズであればアッパーを軽くした方が良いとか、アウトソールのデザインを改良してほしいなどの意見が製品に反映されます。

カーボンシューズもその一例で、私たちが使用した意見が取り入れられ、最終的な製品が完成します。新製品の開発は、市場に出る1年以上前から始まり、テストと改良を重ねています。

前述した、両足のサイドが全開にでき、雨が止んだら腰に巻き付けたまま走れるレインパンツも、技術者がアスリートの意見をすごくよく聞いてくれて、我々とのやりとりの中でいい製品ができている感じがする。そういうのは嬉しいですね。

開発者とのやり取りでは、プロトタイプに注がれたアイデアが私たちアスリートの考えよりも先をいっていて驚くことがよくあります。「こんなものってありだと思います?」みたいに、ゴールドウィンの開発担当者から訊ねられる内容には、われわれが考えてもいなかったようなことが多いですね。彼ら自身がMt.FUJI100などの100マイルレースを完走した経験の持ち主だったり、すごく強い選手だったりします。

開発者たちは僕らプロランナーよりも素材などの基礎知識が豊富で、自分自身も走るから、何かもっと先のビジョンを描くことができる。

それをテストしてより選手が使いやすい、スペックの高いものにしていくようアドバイスする。私たちはそのように開発のお手伝いをしています。

——ゴールドウィンとザ・ノース・フェイスの開発体制には、どんな特徴があるのでしょうか?

鏑木:彼らの開発体制は非常に充実しています。特に富山にある「テックラボ」(https://corp.goldwin.co.jp/techlab/)では、モーションキャプチャーを使用して、シューズの反発力やザックの重心の動きなどをデータ化し、製品の改良に役立てています。

私もここでセンサーを身に着けて実際に走って、どの形状が最もパフォーマンスを向上させるかなどのテストを行いました。ニュアンスだけに頼るのではなく、データを元にした解析はアウトドア業界では新しい試みで、特にここ5〜6年で急速に進化しています。

ゴールドウィンは富山の企業で、日本海側の実直で勤勉な文化が製品作りにも反映されており、製品に対するこだわりが他のメーカーとは少し異なると思います。日常的に製品のフィードバックを行い、改良を続けています。この施設には各分野のスペシャリストが在籍し、縫製工場も一体になっており、まさに最先端の研究開発施設と言えます。

ザ・ノース・フェイス「サミット ベクティブ プロ II」ロングディスタンスからウルトラディスタンスまでのレースを、安定しながらより速く走れるように設計されている。

——今後、全6回の連載で、トレランにおけるギアの選び方について紹介していただきますが、ここでその全体的な考え方について教えてください。

鏑木:トレランでは長時間におよぶレースが多いため、装備がパフォーマンスに大きな影響を与えます。ロードランニングのようにシューズだけが重要なのではなく、様々なサーフェスに対応するために何を背負い、何を着て、何を履くかが非常に重要です。普段からギアに対する感覚を磨いておくことが重要で、それが良いタイムを出すための秘訣でもあります。
<つづく>

鏑木 毅
2009年世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(現UTMB、3カ国周回、走距離166km)」にて世界3位。

また、同年、全米最高峰のトレイルレース「ウエスタンステイツ100マイルズ」で準優勝など、56歳となる現在も世界レベルのトレイルランニングレースで常に上位入賞を果たしている。

著書に「アルプスを越えろ!激走100マイル(新潮社)」「トレイルランニング入門(岩波書店)」、「トレイルランナー鏑木毅(ランナーズ)」、「トレイルランニング(エイ出版)」、「全国トレイルランコースガイド(エイ出版)」「トレイルランニング~入門からレースまで~(岩波書店)」などがある。

2009年のウルトラトレイル・デュ・モンブランでの世界3位はNHKドキュメンタリー番組(DVD「激走モンブラン」)となり、日本でのトレイルランニングの盛り上がりの火付けとなった。
2011年11月に観光庁スポーツ観光マイスターに任命される。
現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなど国内でのトレイルランニングの普及にも力を注ぐ。

アジア初の本格的100マイルトレイルレースであり、UTMBの世界初の姉妹レースであるウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)の大会実行委員長を務める。また自らがプロデュースしたトレイルレース「神流マウンテンラン&ウォーク」は2012年に過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞、疲弊した山村地域の振興、地域に埋もれた古道の再生など地域を盛り上げるモデルケースとなっている。

鏑木毅オフィシャルサイト
https://trailrunningworld.jp/profile/

<写真提供>
鏑木 毅、©富⼠箱根伊⾖トレイルサポート、株式会社GON、ESS JAPAN、アスタリール株式会社、ペツルジャパン株式会社、THE NORTH FACE

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