INTERVIEW

N響の新・首席指揮者ファビオ・ルイージに聞く マエストロの愉しみ #03

ー美、旅、お気に入りの逸品たちー

大矢 アキオ 2022.09.24

第3楽章:腕時計、万年筆そしてフレグランス

2022年9月、NHK交響楽団の首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ氏のインタビュー。建築、絵画に関する語りに続き、第3回は、お気に入りのアイテムにまつわる語りである。
実はインタビュー当日、筆者は約束の10分前にオンライン会議システムに接続した。一般的に音楽家は時間に厳しいからだ。にもかかわらず、ルイージ氏は私よりも先にPCを立ち上げ、私を待っていてくれた。そこで、まずは時計についてのお話から。

美しきものを手に入れる歓び

大矢アキオ(以下AO): 今朝は、あろうことか私をお待ちいただいていました。時間といえば、リストウォッチには興味はお持ちですか?

ファビオ・ルイージ(以下FL):もちろんです。それは少年時代からの情熱でした。最初の1本は14歳のとき。貯金をはたいてTIMEXを手に入れました。時計界全体からすれば取るに足りぬ値段でしたが、当時の私にとってはとびきり高価な買い物でした。デザインが独特で、自慢だったものです。現在はカルティエ・タンク、ロレックス・オイスター、ボーム&メルシエを愛用しています。それから、オリスは2本購入しました。ロレックスと同等のクオリティで、より納得できるプライスだと思います。最近入手したのはノモスです。これです(といってPCのカメラに向かって見せる)。とても好感が持てるデザインです。

AO: あなたにとって、時計に求めるのは正確性ですか、それとも美しさですか?

FL: いい質問です(笑)。第一に美しさ、次に正確さです。時計とは視覚的なものであると考えています。(誤差を補うため)私は針をいつも3〜4分進めておきます…おっと(手元のノモスを見て)止まっていますね。これは頻繁に巻かなければなりません。今の時刻は8時57分ですね(といって時刻の調整に掛かる)。

AO: そういえば私も音大生時代、3分進めていました。

FL: 遅れるわけにゆきませんからね…ほら、ちょうど9時に合わせました。3分先です。このように私にとって、時計の正確さは、美しさの次なのです。着けていることを楽しませてくれるのが良い時計です。このノモスも腕に巻いていると、とても嬉しくなります。

AO:万年筆のご趣味もありますか?

FL: かつてウォーターマンパーカーなどを収集していました。モダンなものではなく、アンティークが中心でした。それらは手放しましたが、ルブーフ(LeBoeuf)のささやかなコレクションは、いまだ手元に残してあります。ルブーフは1919年にアメリカで設立されたブランドでしたが、僅か十数年で消滅してしまいます。軸の素材であったセルロイドの高い可燃性が原因で、工場火災が発生してしまったのです。生産設備は灰燼に帰しました(筆者注:今日あるルブーフは2019年にブランドを復活させたもの)。当時彼らが作った製品は、今日見ても驚くほど美しいものです。5〜6本を持っていますが、これらだけは手放したくありません。

AO: 万年筆の手入れは時間を要します。世界を飛び回る多忙なあなたが、それでも愛する理由は?

FL: 美しさです。美しいものは時間を要求してきます。同時に美しいものを評するにも時間が必要です。同時にそうしたアイテムたちは、ものづくりに、より時間をかけていた時代の息吹を私に感じさせてくれるのです。マイセンの古い小さなティーポットのコレクションも1ダースほどありますが、それらが楽しいのも同じ理由です。

音楽を奏でるように 新しい香りが紡がれる

ルイージ氏には、第二の顔がある。香水ブランド「FLパルファン」のオーナーだ。といっても、いわゆる著名人のプロデュースものではない。彼自身がチューリヒの自宅で調香しているのだ。イタリアのQN紙電子版によれば、香りの世界への目覚めは、幼少期における祖母や母が愛用していたフレグランスだったという。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の首席指揮者に就任した2011年、道を極めることを決意。以来文献を読み漁るとともに、現地で2年間にわたり著名調香師に入門した。そして前述の公式サイトによると、友人たちに贈る香水で試行錯誤を繰り返したのち、「音楽家が最終的に、より多くの聴衆に自分自身を提示するように」オリジナルのレーベルをリリースした。

FL: 目下私のフレグランスは、インターネットと米国ダラスの香水専門店を通じて販売しています。今秋には3種の新しい香りをリリースする予定です。

AO: ところで、ご自身で使うときは、指揮なさる演目によって変えているのですか?

FL: いいえ。毎日使う香りは変えていますが、きわめて即興的なものです。私が手掛けているもの(音楽)との関連はありません(笑)。

AO: ファッションのように、モードを追ってゆくのですか。

FL: モードは追いません。

AO: あなたの作るフレグランスは、香りによって何らかの興奮を増幅させるためのものですか?

FL: そうではありません。私の香水は感動、場所、人物そして抽象的な思考に基づくものです。それらが私を創造に駆り立てるのです。情景や空間の観念、ときには一人の人間像が私にフレグランスを調合させるのです。

AO: たしかに、あなたのフレグランスのなかには、朝に散策したニューヨークのセントラルパークの思い出を香りで表現したものがあります。次は日本から新たな香りのインスピレーションを得られるのでは?

FL: やってみましょう(笑)

ⒸJonas Moser 「FLパルファン」のフレグランスは、調香から、ボトルに充填しラベルを貼る作業まで、すべてルイージ氏の手によって行われる。アトリエに所狭しと並んでいるエッセンスボトルは、自身の緻密さと探求心を物語っているようである。

「美しいものを創るには時間を要する」と話すルイージ氏は「今日のモノづくりは、急ぎ過ぎています」と指摘する。そういえば、彼が敬愛する作曲家ブルックナーによる交響曲第1番の最後の改訂版は、初演から実に23年後だった。時間芸術を極める指揮者は、モノに対しても長い時間のもつ力と魅力を知り抜いている。彼のフレグランスに対する長年の探究心も、その現れに違いない。

次回は、パルクフェルメ読者にとって、とくに関心があると思われる、あのジャンルについてマエストロと語る。

トップ画像 ⒸJonas Moser

PHOTO GALLERY

PICKUP