N響の新・首席指揮者ファビオ・ルイージに聞く マエストロの愉しみ #05
―美、旅、お気に入りの逸品たち—
大矢 アキオ トップ画像 Marco 2022.11.09終楽章:ナショナリティと旅
2022年9月、NHK交響楽団の首席指揮者に就任したイタリア人オーケストラ指揮者ファビオ・ルイージ氏との対談。最終回である今回は、氏の目から見た東京の街、各国におけるオーディエンスのキャラクター、そして人生における旅について語ってもらった。
大矢アキオ(以下AO): マエストロは2001年からNHK交響楽団と共演を重ね、いよいよその首席指揮者を務めることになりました。N響は、あなたが敬愛する指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュやオットマール・スウィトナーとも歴史を紡いできました。
ファビオ・ルイージ(以下FL): サヴァリッシュもスウィトナーも、N響の伝説を作った人物です。そのN響はスタイルやレパートリーに関して、ドイツのオーケストラの影響を強く受けた偉大なオーケストラです。2人の時代のあと、シャルル・デュトワ、ウラディーミル・アシュケナージ、パーヴォ・ヤルヴィによって、スタイルやレパートリーを拡大しました。それも正しいことでした。今日、N響はドイツ的原点に回帰しようとしています。これは私の主なレパートリーとも一致します。N響が私を選んでくださったことは大きな喜びであり、誇りです。私の役目は、サヴァリッシュやスウィトナー時代の演目を再現することであると考えています。
AO: 東京の街については、どのような印象をお持ちですか?
FL: 私は東京を愛しています。なぜなら多様性に富んだ巨大都市でありながら、けっして混乱に陥ることがなく、平和と安らぎに満ちているからです。世界で同規模の都市を見渡しても稀有な例です。
AO: しかしイタリア人であられるマエストロからすると、都市としての東京は、色彩的統一感が欠如しているように映るのではないでしょうか?
FL: 過去の東京滞在で、私がいつも訪れてきた浅草も、さまざまな色が溢れ、活気に満ちています。しかし、それは美しさなのです。官能的・視覚的な興奮をいざなうとともに、考えることへの興奮も誘発します。
AO: ダラス交響楽団やニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でもタクトを振ってこられました。アメリカの都市は、どのようにご覧になりますか?
FL: アメリカは若い国です。古典的なものは他国から持ち込んだか、復元したものです。たとえば、ダラスのダウンタウンを散歩しても、古い建築物は一切ありません。しかし教養あるアメリカ人は、欧州の歴史や建築に興味を抱きます。人類の歴史を考えるうえでの感性として、古典的なものの重要性を認識しているからです。
AO: いっぽうイタリアに住まう人々は、歴史的建築物や美術に囲まれていることが日常になっています。
FL: イタリアでは、どの街角にも歴史が溢れていますからね。旅行者にとっては、美しさと驚きであっても、長く住んでしまうと当たり前になってしまいます。そうした環境で、イタリア人は甘やかされているのかもしれません。
お国が変われば、オーディエンスも変わる?
AO: コンサートの聴衆も国によって性格に違いがあると思います。ヨーロッパでのコンサートホールでは、批評も含めオーディエンスの率直な反応に驚くときがあります。
FL: とくに、あなたがお住まいのシエナのように、社交的な人々が多い街では、会話が習慣となっています。感動を直後に強烈に表現するのです。
AO: 対して、日本人の聴衆は、感情表現が控えめではありませんか?
FL: それは違います(笑)。日本人は感情を表す前に熟考しているのだと思います。背景には、他者を尊重し、自身を尊重する礼儀正しい国民性があると考えます。日本の聴衆は(作品について)学び、アーティストの仕事を評価してくれます。同業者たちも日本で仕事をしてくると、まずそれに感動します。
AO: たしかに日本の聴衆の多くは演奏会に赴く前、その晩演奏される楽曲について予習してゆく人が少なくありません。
FL: 重要なことです。そうした意味で、日本人は正しい称賛の仕方を知っているといえます。ひとつの文化を受容するときの姿勢として、より礼儀正しい人物になるとき、よりよき者になるとき、そのアプローチは正しいものになります。文化や芸術、とくにクラシック音楽はイベントではなく、成長するためのものです。
AO: さきほど申し上げたように、ヨーロッパの演奏会では、聴衆は演奏が終わるやいなや批評を始めます。音楽家としては、どちらが心地よいですか?
FL: 優劣はありません。どの国や地域の人々にも、しかるべき特性があります。イタリア人は率直です。それは素晴らしいことです。アメリカの人々もきわめて率直です。
AO: アメリカでは?
FL: ときに歓声をあげ、口笛を吹き鳴らします(笑)。でも、それとて素晴らしいことなのです。
AO: 現在のチューリヒのお住まいは、何年になりますか?
FL: 8年になります。湖を見渡せる郊外の住まいは、穏やかです。外観も美しく、私と妻にとって最上の空間です。私の生活は、旅とホテル滞在があまりに多いですからね。
AO: ご自身はジェノヴァ出身、つまりジェノヴェーゼです。かつイタリア人であり、各国で活躍する世界人でもあられます。ご自分を表現するのに、どれが相応しいとお思いですか?
FL: すべてだと思いますが、なにより最初に私はジェノヴェーゼです。自身の性格にその気質を感じているからです。
AO: ジェノヴェーゼ気質とは?
FL: 慎み深さです。賑やかで集うのが好きで社交的な、一般的なイタリア人とは異なります。ジェノヴェーゼは控えめで、社交的というよりも孤独を愛し、他者にたいして畏敬の念を抱きます。これは私の性格と一致します。
AO: いっぽう、イタリア人であられる意識は、どこから?
FL: やはりイタリアのカトリック文化の中で育ったことです。これは私のなかの“イタリアニティ”です。しかし、数多くの旅と外国生活の機会を得ました。オーストリアとドイツで暮らし、スイスではフランス語圏とドイツ語圏という異なる地域で長い時間を過ごしました。アメリカでも仕事をし、魅力的な日本でも滞在する機会を得てきました。そうした意味では、自分は開かれていますが、私の中のDNAは紛うことなくイタリアーノであり、ジェノヴェーゼなのです。
AO: マエストロの世界を股にかけた活躍は続きます。最後に、あなたにとって旅とは何ですか?
FL: ときに苦しみを伴っても、私は旅が好きです。なぜなら未知の人たちと会える機会だからです。さまざまな道のりを歩んだ人、違った人生観や異なる文化をもった人と知り合えるのです。性格、習慣、文化、そして集団生活の様式の違いは、私に考えさせ、問いかけてくるものがあります。そこに自身の思慮を重ねることで、他者の人生だけでなく、自らの人生とは何かも理解できるのです。旅は知的な刺激です。欧州、米国そしてアジアという3つの大陸をベースにできる私の人生と仕事において、最大の喜びなのです。
AO: 今朝は公演先のヴェネツィアから、ありがとうございました。明晩の演奏会の成功を願っています。
翌日の晩、ルイージ氏の指揮によりヴェネツィアのサンマルコ広場で演奏されたカール・オルフ作曲「カルミナ・ブラーナ」は、イタリア国営放送RAIで放映された。彼がこれまで指揮してきた後期ロマン派作品と同様、エキセントリックな誇張を抑え、かつ精緻を極めた近代音楽への解釈が感じられた。広場の寺院を背景に熱演するルイージ氏の映像も鮮やかだった。
すでにお届けした美術の趣味しかり、さまざまなアイテム選びしかり。今回のルイージ氏の語りからは、歴史に畏敬の念を抱きつつも、既成の価値観や序列にとらわれない独自の美意識と眼差しが伝わってくる。
オーケストラの指揮とは、作曲家の創作意図を解釈する崇高な作業である。したがって、個人的なキャラクターが反映される余地はない。しかし、本連載からファビオ・ルイージという人物の個性を通じ、あなたのクラシック音楽に対する親近感が深まったなら、筆者としてこれ以上幸せなことはないのである。
トップ画像 ⒸJonas Moser