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大矢麻里&アキオの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #06

元旦の奇跡「幸運の星」キーホルダー

大矢 アキオ 2023.01.10

「リモコンキー前夜」のほうが楽しかった

ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。

皆さんは愛車のキーに、どのようなキーホルダーを付けているだろうか?
筆者自身が最初に手に入れた自動車のキーホルダーは、1980年代の東京の中学生時代に遡る。つまり、免許取得前だった。自転車を漕ぎ日産プリンス店まで行って手に入れた「スカイライン」のキーホルダーだった。

今日でこそ、ほとんどの自動車ブランドが数多くのオフィシャルグッズを販売している。いっぽう当時、そうしたものに商品性を見出していたメーカーは数少なかった。車名が記されたアイテムというのは、ディーラー試乗会の記念品で「もらうもの」だったのである。

そうしたなか日産は、スカイライン・グッズを販売品として企画した。背景には、伝説の広告キャッチである「Ken & Mary」と「相合い傘マーク」の入ったTシャツを販売したところ、爆発的ともいえる成功を収めたことがあった。ドイツのプレミアム系ブランドが「コレクション」などと称し、同様のことを大々的に展開し始めたのは90年代中盤だから、かなり早かったことになる。

筆者が購入したキーホルダーは、すでに「ジャパン」の時代のものであったが、SKYLINEとだけシンプルに刻字されたデザインが気にいった。学校でロッカー用の鍵に付け、自慢で使っていたものだ。

「スカイライン」キーホルダーを、記憶をもとにイラストで再現。同級生の冷めた視線を尻目に、得意になっていた。

ただし、社会人になって「フィアット・ウーノ」の新車を購入したときのこと。付いてきたキーホルダーは、当時のロゴである平行四辺形のFIATマークとはまったく関係のない、インポーター名がでかでかと記されたものだった。したがって、すぐに外してしまった。当時のフィアット車のキーは、仏像の頭部のようなエンボスが付いていて、キーホルダーなど付けなくても格好よかった。

中央は初代フィアット「パンダ」のキー。筆者が所有していたウーノのものも同様のデザインだった。

自動車のキーホルダーを歴史的にみれば、その昔エンジン始動用、トランク用、ロッドアンテナの収縮用…などと、1台に鍵が数本あった時代に、束ねる必要があったためともいえる。したがって純粋に機能を考えれば、今日は要らないのである。

その後イタリアに渡り、中古で購入したフィアット「ブラーヴァ」の鍵も、洒落たデザインが施されていてしびれたものだった。思えばリモコン式になる前夜の、キーのデザインはもっと自由だった。

イタリアで中古で買ったフィアット「ブラーヴァ」のキー。いちばん上は、1個紛失した際、合鍵屋さんで作ってもらったものだが、デザインはオリジナルに限りなく似せられている。

その後もキーホルダーに特別な執着をしなくなった筆者であるが、ひとつだけ例外がある。

「靴べら」が嫌で

それは、メルセデス・ベンツのスリーポインテッド・スターが付いたキーホルダーだ。
時代は前後するが、それを手に入れたきっかけは、亡父が「5ナンバーで乗れるメルセデス」として知られた「190E」を新車で購入したときである。といっても、形見などというセンチメンタルなものではない。

父はそれ以前、初代「フォルクスワーゲン・ビートル」や「アウディ80」に乗っていたときから、革製靴べらと一緒になったキーホルダーを愛用していた。クルマを使うとき=出かけるとき、玄関で即座に靴が履きやすかったのだろう。

190Eは納車時、メインキーが2つ備えられていた。だが我が家では、うち1本は紛失時を考えて持ち出し禁になった。そのため筆者が借り出して乗るとき、その“靴べら付きキー”で運転しなければならなかった。近距離はともかく、長距離ドライブだと、いつまでも親父が同伴するようで嫌だった。

かといって、リモコン式になる以前のメルセデスのキーは、なんとも素っ気ないデザインをしていた。靴べらを外しただけでは様にならない。そこで、芝浦のヤナセ本社に自分で行って見つけたのが、その銀張りのキーホルダーだった。

「メルセデス・ベンツ190E」のキー。イタリア人オーナーのものを後年撮影。

値段はいくらだったのか、ドイツ本国の部品番号が付いていたのか、それとも日本オリジナルだったのかは、今となってはわからない。だが銀独特の落ち着いた風合いと、大きすぎないスリーポインテッド・スターの直径が、メルセデス独特の威圧感と無縁なのが即座に気に入った。

以来、筆者が190Eに乗るときは、靴べらを取り外してそれを付けた。後年、父のクルマが「Eクラス(W124)」に変わっても、筆者は使い続けた。

筆者が1990年代、ヤナセで購入したメルセデスのキーホルダー。

30年もの、突如姿を暗ます

その後1996年、筆者は東京生活にピリオドを打ち、スーツケース1個とヴァイオリン一丁を提げてイタリアにやってきた。ところが数年後、東京に一時帰国した際、残してきた段ボールを整理していると、底に小さなものが落ちていた。例のメルセデスのキーホルダーだった。日本を経つ際、リサイクル業者に大半の物を引き取ってもらった筆者としては、意外だった。これは何か縁がある。キーホルダーをイタリアに持ち帰り、他ブランド車を所有していたにもかかわらず使うようになった。

そのキーホルダーがなくなっていることに気づいたのは、2022年夏のことだった。正確にいうと、キー側と接続する部分(方式は違うが、一般的にナスカンと呼ばれる部品)を残して、チェーンやスリーポインテッド・スターが消えていたのだ。
深夜にもかかわらず、レジデンスの地下パーキングまで降りてゆき、車内外を徹底的に探したが出てこない。夜が明けてからは、前日プールを使うため訪れたホテルの駐車場や、帰り道寄ったガソリンスタンドに寄り、地を這うように捜索した。スタッフにも声をかけたが、そのような落とし物は無いという。

悔しいので新品のスリーポインテッド・スターのキーホルダーを買おうと思ったが、今日のものはニッケルメッキかつ、直径が大きい。30年前に手に入れたものの代替品とするマインドは、ついぞ起きなかった。

プレミアム車のキーホルダーより輝いて見えるのは

2023年元旦のことだ。我が家の洗濯機が水漏れを起こした。10年前、ほぼ新築で入居した我が家に、家具同様備え付けられていたものだ。以前から兆候はあったが、なぜ元旦に派手に壊れるのか。ともあれ、女房は、水浸しになった洗濯機の下に雑巾を突っ込んで拭き始めた。そのときである。彼女が「あーッ!」と声をあげた。なくなっていたスリーポインテッド・スターが姿を現したのだ。

あの日プールで使ったタオルなどを筆者が洗濯機に放り込むとき、クルマのキー片手だったりして、千切れて潜り込んでしまったのだろう。

“幸運の星”は、数ヶ月ぶりに洗濯機の下から現れた。

スリーポインテッド・スターは、無残にも真っ黒になっていた。調べてみると、銀は放置しておくと硫化膜ができるらしい。女房が持っていた銀製品用液剤クリーナーに浸け、しゃぶしゃぶ肉のようにゆすると、元の銀色が甦ってきた。生来ラッキーチャームなど興味がない筆者であるが、思わず「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」と声を上げてしまった。同時に、メルセデス・ベンツが往年の広告でたびたび謳ってきた「幸運の星」というフレーズが、妙に真実味を帯びたのであった。

最後に、一般のイタリア人ドライバーは、どうやってクルマのキーを持ち歩いているのか? 頻繁に目にするのは「他の鍵と一緒」である。そのような場合、キーホルダーは、何本もの鍵に埋まってしまい、あるのかないのかわからない。知り合いの惣菜店主は、クルマのキーとともに、まるで看守のように束ねてある鍵を「これは店、こっちは家、それから門扉な」と教えてくれた。当然のことながら、走行中はステアリングコラムの下でじゃらじゃら音をたててしまう。しかしながら、日々の生活で、これが最も便利なのだ。なかには貸しアパートや海沿いの別荘の鍵までクルマのキーと一緒に束ねている人もいる。我が家の家賃を支払うだけでも精一杯の筆者からすれば、そうしたイタリア人の「束ねキー」は、プレミアムカーのキーホルダーよりも数段上位のステイタス・シンボルに映るのである。

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