空気圧計に魅せられた時計デザイナー、ジュリアーノ・マッツォーリという男: 大矢麻里&アキオの毎日がファンタスティカ!イタリアの街角から#26
大矢アキオ ロレンツォ Akio Lorenzo OYA/在イタリア・ジャーナリスト 写真 : GIULIANO MAZZUOLI S.r.l./Akio Lorenzo OYA 2025.05.15イタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。
ガレージで生まれた
腕時計の世界には独立系ハイエンド・ウォッチというジャンルがある。LVMH、リシュモン、スウォッチといった巨大グループに属せず、小規模ながらもオリジナリティ溢れたデザイン感覚や特徴、スペックで訴求しているブランドたちを指す。自動車にたとえるならパガーニ、ケーニグセグといったところであろうか。ジュリアーノ・マッツォーリは、そうした独立系ハイエンド・ウォッチのブランドのひとつである。創業者兼社主は同名のイタリア人だ。

1946年フィレンツェ郊外に生まれたマッツォーリは、若き日にファッション業界をはじめとするカタログのグラフィック・デザイナーとして頭角を現した。かたわらで週末には、プライベート・チームのドライバーとしてアルファ・ロメオ・アルファスッドでサーキットを駆けた。すべてが充実していた。

しかし、主要顧客であったファニチャー産業の不況が彼のビジネスを直撃。カタログデザインの依頼は激減した。1990年代初めのことだった。
失意のどん底で考えたのは、両親から引き継いだ印刷所で作ったダイアリーだった。ハードカバー表紙の一部が折れ曲がることでめくりやすくしたアイディアが評価され、MoMA(ニューヨーク近代美術館)など、マッツォーリ自身想像していなかったような著名ミュージアムのショップから引く手あまたとなった。このビジネスは後年ステーショナリーのラインナップを拡大。彼の2人の息子たちによって引き継がれている。
そのマッツォーリが次に手掛けたのがリストウォッチだった。時計のデザイン経験がなかった彼が最初にした作業は、世界中のあらゆる専門誌を読むことだったと振り返る。他ブランドに似ている自身のアイディアをことごとく排除するためだった。
やがて彼の目にとまったのは、愛車を収めたガレージにあった自動車のタイヤ空気圧計だった。機能のみを純粋に追った、数字の配列と書体に心惹かれた。彼はノギスを片手に、夢中でそれをトレースした。

オートマティック・ムーブメントこそスイス製ETAだが、ケースやベルトなどその他のパーツはメイドイン・イタリーを貫くことにした。そうして2005年に誕生したマノメトロ(イタリア語で空気計)は、オランダの専門誌による2009年「ウォッチ・オブ・ザ・イヤー」に選定された。さらにアルファ・ロメオのオフィシャルプロダクトにも選ばれた。とくに世界の自動車好きに注目されるようになり、映画『レーサー』で知られる俳優の故ポール・ニューマンとも友情を育むことができた。


「運」もデザイン要素
2025年初春、筆者はマッツォーリと秘書の計らいで、東京出張の2週間をマノメトロと過ごした。
上品なブルーの文字盤は、見るたびトスカーナの西岸ティレニア海を思いださせた。竜頭は大半の時計が3時位置であるのに対して2時位置にオフセットしている。以前マッツォーリ本人に聞いたところによると、「手首の骨に干渉せず、かつ巻きやすいことに気がついたから」という。


イタリアに戻ってから、さらなる感想をマッツォーリ本人に投げかけてみた。
Q: マノメトロは、ベゼルの直径に比べてケースが厚く感じられます。
ジュリアーノ・マッツォーリ(以下GM) : 実際のケースの厚みは、それほど極端ではないのですが、円筒形のフォルムによって強調されて見えます。さらにいえば、機械的に必要だったわけではなく、デザイン的視点から不可欠だった“意図された厚み”なのです。参考までにコンプレッスドcompressedという薄型のマノメトロも存在しますが、やはり人気が高いのはオリジナルの厚いモデルです。
Q: あなたの時計の発想源となった圧力計や車載計器類は、今日デジタルに置き換えられようとしています。こうした時代において、アナログの指針表示の美しさは、人間に何を伝えるのでしょうか?
GM : デザイン的観点からいえば、デジタル時計は一定間隔で切り替わる数字の連続にすぎません。結論をいえば、デジタルとは単なるテクノロジーであり、デザインとはうまく調和しない存在なのです。
Q: 人工知能(AI)は支配的な存在となり、デザインの分野にも浸透し始めています。こうした状況下で、「個人的な感性を反映したデザイン」の重要性を、あなたはどう考えますか?
GM : 正直に告白すれば、私はAIがどうやって開発されるのかについて知識や教養をもちあわせていません。AIとは、良くも悪くも人間の知性が与えた情報が、後から処理されたものだと思っています。仮に将来、AIによるデザインが主流になるとしても、結局それは人間の設定によって集められた膨大なデータを処理したものにすぎません。私の考えでは、デザインとは感情を調和のある形によって表現する作業であるべきです。
そしてマッツォーリは、こう締めくくった。「カタチをひらめくのは簡単ではないのと同時に、運もかなり必要なのです」

たしかに、彼の人生を振り返れば、グラフィックデザイナーとしての危機がなければ、機械好き・クルマ好きでなければ時計の成功には辿りつかなかった。そうした意味では、たしかに運もデザインのうちなのである。
最後にふたたびクルマとの対比で語るなら、マッツォーリのアトリエにいると、草創期のランボルギーニを思い出す。今日でこそフォルクスワーゲン・グループの一ブランドであるランボルギーニだが、創業者フェルッチョの時代は、どのような世界的エンターテナーがミウラを引き取りにやって来ようとボローニャ県の片田舎にある工場でもてなした。

今もマッツォーリは、故郷タヴェルネッレ・ディ・ヴァル・ディ・ぺーサのレオナルド・ダ・ヴィンチ通りにあるアトリエやフィレンツェで彼らを迎える。個人的な友情を尊重するマッツォーリの意思によりここに記すことは憚るが、顧客リストには前述のニューマンに匹敵するムービースターの名前が連なる。たとえ知名度が向上しても、ゆかりの地でもてなす振る舞いが、いかにもイタリア人らしい。そうした創り手の気質を身近に感じられることも、独立系ハイエンドウォッチの価値なのである。
