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まだ観ぬ姿に想いを馳せつつカタログを捲る:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#34

伊東和彦 ISOリヴォルタGT 2025.08.10

今回は1枚のカタログから興味を覚えたクルマが話題だ。その切っ掛けを作ってくれたのは中学入学時からの友人で、高校卒業までの6年間にわたってクルマ趣味仲間の友人M君だ。以前の連載で『線路脇の “パッカード”』の回に登場したほか、この連載に登場したクルマの何台かは彼の導きで遭遇している。

正確な時期は忘れたが、あるとき、M君は航空便の茶封筒の中から綺麗なカタログを取りだして見せてくれた。そこにはISOとあった。

M君のほか、抜群のクルマ博学のI君もすでに知っているメーカーのようだったが、浅学の私は名を聞いたことがあるかな、程度のメイクであり、帰国子女のI君は流ちょうな発音で会社名とモデル名を口にしたが、私は“ちんぷんかんぷん”だった。
 
二人の話を総合すると、ISOはイタリアの小規模な自動車メーカーであることが分かった。冷蔵庫を生産していた会社が元であり、バブルカーのISOイセッタを手掛けていたが、高級車生産に参画。元フェラーリの技師が参加した高級で高性能なモデルの「リヴォルタGT」が初作であり、そのカタログだった。私がISOの名を聞いたのは、横浜市内を走るイセッタを見かけていたからだった(それはBMWイセッタだったが)。

ISOから送られてきたカタログ。かなり厚みのある紙を使っていた。最初の見開きがリヴォルタGTだった。

二人の話から興味を引かれたのは、イタリアの会社が生産するクルマだが、エンジンはアメリカ製のV8型であることだった。だが、カタログに掲載された写真からはイタリアの香りがしたものの、それと市中を走る巨大な米車の排気音とは、私にはどうも結び付かなかったのだが……。

M君はクルマの画を描かせたらかなりの腕前であり、デザインについて一家言を持っていた。その彼が、デザインはベルトーネのジョルジェット・ジュジャーロだと口にしたことだ(当時はジウジアーロと表記され、私は見慣れたこともあり、こちらを好むが)。そして、M君はこの新進気鋭のデザイナーが好きだと見えた。今になって思えば、あまり日本の雑誌では取り上げられることのない車種や、新進気鋭のデザイナーの個人名をM君が知っていたことのほうが驚きである。

リヴォルタGTのスタイリング・スケッチ。ジュジャーロのサインが見える。(Bertone Archives)

私はといえば、立派な作りのカタログの入手方法が気になってならず、問うてみたところ、自動車専門誌に掲載されていたISO社にカタログ請求の手紙を書いたら、航空便(当時はそれだけでも驚き)で送られてきたのだという話だった。
 
さっそく、英語が堪能なI君に作ってもらった「カタログ請求の例文」を頼りに、英語の勉強のためにと親にねだったタイプライターで手紙を作成してみた。これも英語の勉強のひとつであるから、真っ当な使い方をしたわけだ。
 
待つことしばし、イタリアから大きな茶封筒が送られてきた。総合カタログとともに4ドアセダンの「フィディア」のチラシも入っていて、日本での販売ディーラーの連絡先が添えてあった。何度もなんども辞書を引き引き、内容を読んでみたことを覚えている。日本の自動車専門誌では情報不足が否めなかったから、私にとっての頼りの書であるジョルガノのエンサイクロペディアとカタログで満足できた。
 
モデルラインアップを網羅したカタログの中で私が最も気になったのは、スーパースポーツカーのイエローが眩しい「グリフォ」ではなく、ISOにとって高級グランツーリスモの初の製品であるリヴォルタGTだった。ガキの頭には“エレガント”などの言葉はなかったが、なにやら高貴な印象を受けた。

リヴォルタGTは高性能高級車市場に参画したISOの初めての製品だ。当主、レンゾ・リヴォルタの名を冠したグランツーリスモだ。エンジンはGMの5.4ℓ。(ISO Archives)
このイエローのグリフォは7リトリ。その名が示すようにGMシボレーの427、7ℓを搭載する。デビューは1968年秋だから、このカタログはそれ以降に刷られたのだろう。ということは1968年秋以降に私の手元に届いたのか。

時期は忘れたが、あるとき意をけっして日本の販売店に電話で尋ねたところ、リヴォルタGTは1台が輸入されたことを知った(その後に追加輸入されたかは不明)。さらにS4フィディアは男性週刊誌の観音グラビアページ、“AUTO SALON”で紹介されたことを知り、そのページは友人にもらったカタログと一緒に仕舞い込んだ。

S4フィディアが日本に上陸していて証拠がこれだ。男性週刊誌、確か週刊プレイボーイ(?)に連載されていた繰り出しカラーページの“AUTO SALON”で紹介されていた。

4ドアのスーパースポーツカーといえば、「マセラティ・クワトロポルテ」が有名で、日本にも数台が輸入されているが、果たしてS4フィディアは何台が上陸したのだろうか。ISOはそう知名度が高いわけではなかったから、男性誌の繰り出しカラーグラビア“AUTO SALON”紹介された1台だけかも知れない。フェラーリでもランボルギーニでもマセラティでもない、アメリカンV8を搭載したイタリアン高性能車のISOの製品がそう多く輸入されたとは考えられず、グリフォが新車で入荷したという話は、その頃には聞いていなかったから、正規輸入はもしかすると1台だったかもしれないと想い、遭遇することを願うようになった。

リヴォルタGTのWBを延長して誕生した4ドアモデル、「S4フィディア」。マセラティ・クワトロポルテと同じ市場を睨んだのだろう。同じくジュジャーロのデザインだが、この時はベルトーネからカロッツェリア・ギアに移籍していた。カタログに掲載されたこの角度が最も綺麗だと思う。

希有なISOではあるが、2座クーペのグリフォは海外のコンクール・イベントでは何度も見かけている。だが、リヴォルタGTとなると機会は希有である記憶があり、ましてや現在に至るまで、日本の路上でリヴォルタGTに遭遇したことは一度もない。

一度、情報通から某環状線沿いの中古車販売店に1台だけ輸入されたと思われるリヴォルタGTが並んでいるとの話を聞いたが、確認には至らなかった。どこかで健在なのだろうか?
 
少量生産車ゆえ、この手元にあるカタログは日本では希有だと思う。惜しむらくは、貼られていた切手を別に保存するため、ISOのロゴマークが入った封筒は切り刻んで捨ててしまったことだ。

新興のISOが、フェラーリやマセラティ、ランボルギーニが鎬を競うフロントエンジン・スーパースポーツカーの市場に投入したのがグリフォで、このカタログでは二つの見開きを使って紹介している。設計者のジオット・ビッザリーニにとっては腕の奮い甲斐があったことだろう。

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