2年で「100マイラー」への道:#00 走り出すまで──ヒマラヤの風と広告の一行
田中誠司 2026.01.132025年4月、PF編集長は日本一のトレイルランニングイベントと呼ばれる「Mt.FUJI100」168kmレースを完走した。フルマラソン4回分の距離を、山坂を上り下りしながら丸一日以上かけて寝ずに駆け回るというこのレースには、日本中から2000人を超えるランナーが集まる。完走できる体力や走力を養うだけでなく、出走する資格を得るのも大変だから、通常は数年の準備期間を要するとされる。しかし、やるとなったら最短コースを選ぶのがこの人のスタイルだ。ゼロに近いランニング経験から2年で目標を達成する道のりを紹介していこう。
僕が「走る」ことを意識し始めたのは、100年を超える歴史を誇るモーターサイクル・メーカー、ロイヤルエンフィールドのヒマラヤ・ツーリングに仕事で帯同したのがきっかけである。標高4千メートルを超える山麓を7日間かけて巡る取材ツアー。気圧は低く、路面は荒れ、バイクとはいえ体力を欠けば完走は覚束ないという。現地ガイドは参加者に推奨される体力をこう示した——「1km6分のペースで30分間ランニングできる持久力」。当時の僕でも、ギリギリそれくらいのペースでは走ることができた。
ヒマラヤの風が、走る衝動を呼び覚ます
ヒマラヤでの体験はすばらしいものだった。
澄んだ空気と圧倒的な峰々。山の美しさに目覚めた。
毎日カレーを食べながらモーターサイクル・ジャーナリストの猛者たちと行動をともにして、度々転倒を喫しつつも900kmの道のりを完走。自分の中にも眠った体力があるのではないかと漠然と思い始めた。
帰国後しばらくして、SNSのタイムラインに流れてきたのが《Challenge4》の広告だった。〈フルマラソン4時間切りのためのレース〉。僕は衝動的にエントリーボタンを押した。ランニング経験は乏しかったが、広告の1行は十分に魅力的だった。ヒマラヤへ挑む前の僕は、たぶん自律神経失調症だったと思うのだが、なんとなく常に体調が良くない時期が続いていた。少し体調が上向いたのを機に、何か成果を残しておきたいと思っていた。
果たして間に合うのか? いろいろネットを調べていて拾った、箱根駅伝で「山の神」と呼ばれ現在は指導者として活躍する神野大地選手の「3ヶ月でサブ4を目指そう」というプログラムを、とにかく試してみることにした。
ところが現実は甘くない。提示されたメニューは月間200km超、週末は30km走。右も左もわからぬまま、仕事終わりにインターバル走をこなした。3か月後、無事完走したが、結果は4時間21分。目標には遠く及ばず、脚も心も粉々になった。それでもヒマラヤで感じた「自分はもっとやれる」という直感は消えなかった。
敗北から1年弱。2024年3月の丹波篠山ABCマラソンで、僕はリベンジに成功した。キロ5分半で淡々と刻み、終盤の向かい風とアップダウンに膝を軋ませながらも、3時間59分で初のサブ4を達成した。ゴールテープを切った瞬間、「もう二度とフルマラソンはいい」と思ったが、同時に「これだけ走れたなら山でも通用するはずだ」という確信が芽生えていた。
夜と稜線、地図に線を引く
マラソンへの挑戦と並行して、僕は日本百名山を中心とする登山と、トレイルランニングにのめり込んでいた。山頂で飲む熱いコーヒー、山の稜線美、朝の雲海、沈む夕日……どれもロードランニングにはない解放感だ。スキルの高い先輩たちと一緒に走り、気がつけば地図上で見ても「こんなに遠いのか」と驚くような距離を、自分の足で走れるようになっていることにも楽しさを見出していた。
自分がトレイルランニングに求める楽しさを具現したレースとして、頭に浮かんだのは2つのイベントだった。伊豆トレイルジャーニー70k(ITJ)とMt.FUJI100。抽選や資格要件が厳しく、参加すら簡単ではないが、どうしても完走したかった。それも「いつか」ではなく「できるだけ早く」達成したかった。
2023年末、僕は30〜50kmクラスのショートディスタンス・レースに出場した。2024年は徐々に距離を伸ばし、上州武尊スカイビュートレイル80km、ハセツネカップ71km、その他のミドルレースを詰め込み、Mt.FUJI100出走に必要なITRA(国際トレイルランニング協会)ポイントをかき集めた。さらにエナジージェルの「オレは摂取す」が主催するITJ本番を見据えた強化プログラム「オレはITJを攻略す」に応募し、選抜メンバー10名の1人に滑り込んだ。高尾での練習、伊豆での二日間合宿——苛烈な練習のたびに体力の底が拡がり、仲間との連帯感が生まれた。
トレイルランニングの魅力は、想像を超えた距離を自分の足で移動できることにある。朝に出発して星空の下に戻り、地図上の点と点が一本の軌跡で結ばれる。その軌跡こそが自分の足跡であり、限界を押し広げた証だ。峠を越えるたび、未知だった自分の輪郭が少しずつ描かれていく感覚が楽しかった。
こうして僕は、Challenge4 での挫折から2年足らずで、ITJ70kとMt.FUJI100完走という2つの大きな目標を達成するに至った。ヒマラヤのバイクツーリングに端を発した衝動が、どのような過程を経て 100マイル完走へ繋がったのかを、失敗と成功の両面から綴っていく。怠け者を自認していた僕が体力の限界を塗り替え、山の深みに足を踏み入れていった2年間を振り返る。