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Think Small―小さなクルマと、シンプルなクルマ #03

小さなランチアに乗って考えた”私的小型車理想像”

伊東 和彦 ランチア・イプシロン・ツインエア D.F.N(2013年) 2022.06.30

程度良好、たった3万kmのイプシロンを発見

前回、このコラムに初代フィアット・パンダについて記したばかりなので、いささか気が引けるが、今回も小さなイタリア車、ランチア・イプシロンを選んでしまった。私は、自他ともに認めるヒストリックカー好きなので、「ヒストリックカー好きにとって気になる足クルマ」という視点で、ついついクルマを見てしまいがちである。

ランチアの正規輸入は途絶えており、今回、試乗したイプシロンは、知人が営む自動車販売会社のベニコのHPに掲載されている2013年登録の中古車だ。

photo: Mobi-curators Labo. 都市生活者にとっての、快適な足にはコンパクトなことも欠かせない要素のひとつだと私は考えている。全長3835mm、全幅1675mmの5ナンバーサイズのイプシロンを公共駐車の枠の中に収めると余裕たっぷりだ。

イプシロンとしては3代目に当たるモデル(現行モデルはこのマイナーチェンジ型)だが、それには少しばかり事前説明が必要だ。

3代目イプシロンは、日本市場では、「クライスラー・イプシロン」のモデル名で正規輸入されていた。基本的にはランチア・イプシロンと変わらないが、日本仕様の最大の相違点は右ハンドル仕様であることで、当然ながらバッジ類のほか、グリルが”クライスラー顔”になる。エンジンは2気筒875ccターボの”ツインエア”だった。

だが、小型のイタリア車がクライスラー・ブランドを名乗っていた違和感から(おそらく)、市場の反応は鈍く、商業的には成功しなかった。

これに対して、”本家”イプシロンを望むエンスージアストも確実に存在し、1970年代からのランチア輸入代理店であったガレーヂ伊太利屋が、「ランチア・イプシロン」の輸入販売を手掛けていた。基本的にはイタリア国内仕様であり、左ハンドル、ツインエア・エンジンでトランスミッションはD.F.N(シングルクラッチ式自動MT)だ。クライスラー版とは装備品に違いがあり、ツートンカラーの”ビ・カラー”が輸入された。

今回、短時間ながら試乗したのは、ガレーヂ伊太利屋が輸入したイプシロンで、塗色はブロンゾ&サッビアというシックなカラーリングだった。2013年の初度登録で、付属の点検整備記録簿(私はどうしてもこれが気になる)によれば、新車当時からガレーヂ伊太利屋が面倒を見ており、内・外装とも程度はとてもよい。9年で走行3万kmほどだから、車庫で過ごすことが多かったセカンドカーだったのだろうか?

言い忘れたが、右ハンドルのクライスラー・イプシロンを購入して、エンブレムなどをランチアに付け替えていた例も多々あったようだ。こうした”こだわり”もいかにもランチアらしいところだ。

聞くところによれば、クライスラーのロゴをすべて “ランチア化”すると30万円にも達するというが、安上がりに済ませる“ステッカーチューン”もあったのかもしれない。

photo: Mobi-curators Labo. フィアット500のメカニズムを流用するが、WBは500の2300mmに対して2390 mmと長い。全高はフィアットの1515mmに対して1520mmでほぼ同一だ。アルミホイールのスポーク部分はイプシロンの“Y“をモチーフにしている。

イタリアの小さな高級車

近代ランチアのカリスマであるインテグラーレならともかく、ごく普通の小型乗用車であるイプシロンの魅力について、試乗記の評価で使われる”★いくつ”という採点基準で表すことは困難だろう。同時期の同クラスの小型車と直接比較すると、絶対的な性能などでは、ランチアに分があるとも思えない。

だが、数値評価がむずかしい感覚的な部分、スタイリングやカラーリング、内装材の色使いや手触りなど、フィアット500 とコンポーネンツの多くを供用しているにもかかわらず、巧みに造り分けて高級感を醸し出していることで評価すれば、”エンスージアスト的な★評価”では満点になるだろう。

乗り味では、突き上げが厳しく固めなフィアット500に比べて、イプシロンではゆるやかにロールするなど、フィールはすべてが異なり、角が取れて優雅に感じられ、サイズを意識させないことは特筆に価す、訴求点だろう。

photo: Mobi-curators Labo. 左:メーターパネルを中央に配置するのはイプシロンの伝統だ。室内は明るく、開放的だ。右:4ドアのために後席への乗降はフィアット500より楽だ。WBが90mm長いこともあり、実測したわけではないが、座ってみると広く感じられる。2代目はBセグメントだったが、3代目はAセグメントになった。

過去には、しばしば「小さな高級車」という言葉で表現されていたものの、言葉の意味は曖昧であり、定義するのは難しいが、即座に頭に浮かぶ例のひとつが、ベースモデルのオースティンとモーリス1100/1300(ADO16)から派生した、「ヴァンデン・プラ・プリンセス」の佇まいだろうか。

ブランドの伝統を重んじる英国ならではのクルマで、「普段はロールス・ロイスに乗る紳士が、混雑した市中で乗る小型の高級車である⋯⋯」などなどと自動車専門誌で紹介された。そうしたクルマが日本には存在しなかったことから、クルマ好きが憧れを抱き、少なからぬ台数の中古車が輸入された。

現代では「小さな高級車」という言葉を聞くことはなくなったが、あえていえば、都市生活者の快適な足に最適な、コンパクトな小洒落れたクルマがそれに当たるだろう。昨今の小型欧州車が、同クラスの日本車に対して「小さな高級車」の立ち位置にあるともいえよう。

photo: Mobi-curators Labo. 左:ヴァンデン・プラ・プリンセス1100のカタログ。小さな高級車として、ある程度の成功をおさめた数少ない例だろう。右:ヴァンデン・プラ・プリンセス1100のカタログでは、メカニズムの紹介ではなく、革と木を使った英国製高級車の伝統に従った内装の説明にページを費やしている。

ランチアの伝統の延長線上に

ランチア・イプシロンは初代型から、前述したような伝統的な「小さな高級車」の要件を満たしていた。1985年にデビューしたY-10がそのルーツだろう。日本市場では「アウトビアンキY-10」として販売され、後端を断ち落とした大胆なスタイリングが印象的なモデルだった。

あるとき、来日したランチア広報部長に、デザインの意図を聞いたことがあった。

「混雑した町の中で乗るにはサイズが小さい方が便利だから、全長を短く抑えた。同時に伝統的なランチア・ユーザーにも好まれるように内装は高級に仕立てた⋯⋯」との答えだったことをよく覚えている。内装材にアルカンターラを用いたのは、小型車ではY-10が最初だった記憶がある。Y-10は初代パンダとコンポーネンツを共有していたが、リアサスペンションは一足先にΩ(オメガ)ビームと名付けたシステムを採用し、パンダに比べて粗さが格段に少なくなっていた。

photo: Stellantis Archives 上:スモール・ランチアのルーツを辿っていくと、1936年に登場したアプリリアにたどり着く。量販のフィアットに対して、ランチアは同クラスであっても “小さな高級車”のポジションにあった。凝った機構を採用することがランチアの常で、アプリリアではフル・モノコックとして、センターピラーレス構造を実現している。エンジンは狭角V型4気筒の1448cc。左下:1985年に発売された久々のスモール・ランチア、Y-10。日本ではアウトビアンキY-10のモデル名で販売された。フィアット・グループ内でのポジションは、最も小さいアウトビアンキA112の後継モデルだった。極端なほどの“コーダトロンカ”のスタイリングが特長だった。右下:Y-10の後継モデルとして1994年にデビューした、初代イプシロン。スタイリングは元ピニンファリーナでランチアのスタイリング部門に移籍したエンリコ・フミアだった。フィアット・プントのプラットフォームを短縮して使用した。

私自身はそうしたランチアの雰囲気づくりの巧みさに共感を覚え、いつか足にしたいと考えるようになった。縁あって、2010年頃に2代目イプシロンのガソリンエンジン+5MTという好スペックを持つ、程度のいい中古車に巡り合い、数年間、愛用(正にこの言葉がぴったりだった)していたことがあった。私が勝手に、そのスタイリングというか、佇まいに、アプリリアや初代アッピアなどのランチア・ファミリー血統を感じたことも理由だった。

photo: Mobi-curators Labo. 左:2002年登場した2代目イプシロン。同じくフィアット・プントのフロアユニットをショートホイールベース化して用いた。日本では3ナンバーサイズになった。このような2色に塗りわけた“Bカラー”も設定された。右:このビ・カラーのイプシロンは私が所有していたものだ。この写真は、自分のランチアでクラシック・ランチアを取材に行くという希有な体験をしたときの記念。B24アウレリア・コンバーチブルとイプシロンは理想のペアだと思いながら、シャッターを切った。

今回、試乗した3代目では、2代目に比べてサイズが小型化され(日本では5ナンバーに戻った)、乗り味も初代イプシロンにあったキビキビ感が戻っていた。ツインエア・エンジンは、DFNを上手に扱えば、2代目のガソリン1.4リッターより活発に走れ、サイズを意識させない快適な乗り心地を兼ね備えていた。

友人で、2代目、初代、そして現在が3代目と、すべてのイプシロンを中古車で乗り継いできたYさんによれば、2代目のガソリン車には少し“もっさり感”があったが、小型化された3代目には初代のフィールが戻っているといい(同感だ!)、いたく気に入っている様子だった。

ランチアは1960年代にフィアットの傘下に入って以来、かつてのように採算を度外視したかのようなメカニズムを追うことはできなくなり、フィアットのコンポーネンツを共用せねばならなくなったが、そうした制約の範囲内で、ランチアが培ってきた感触、感覚を再現しようとしているように思える。

ランチアは大フィアット・グループの中での居場所を見つけ、そこでイプシロンを育んできたが、BEV時代のなかで、その個性をどう表現するのか、これからが楽しみである。

それまでのあいだ、程度のいいイプシロンを“捕獲して”、足に使うというのはどうだろうか? 今の私にぴったりではないか、そう思わせる1台だった。

photo: Mobi-curators Labo. 左:エンジンは2気筒875ccターボの”ツインエア”。トランスミッションはD.F.Nだが、ランチア版では5MTも輸入されていたはず。右:トランクスペースは2分割式バックレストによって拡大できる。
photo: Stellantis Archives 最新のイプシロン。女性ユーザーが多いことから、しばしばファション・ブランドとコラボレーションすることが多い。これはイタリアのファッションデザイナー、アルバータ・フェレッティとのコラボモデル。パワーユニットは3気筒マイルド・ハイブリッドの“Eco Chic”だ。
photo: Mobi-curators Labo. ビ・カラー・モデルのこの角度が最もイプシロンらしいと思う。日本国内を走る台数が少ないことから、街で見かけることは希有だ。

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