STORY

大矢麻里&アキオの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #04

突如パティシェ親父宅にホームステイ

大矢アキオ 2022.11.24

帰宅部員の選択

ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。

イタリアのモノがテーマの本欄であるが、今回の舞台はフランス・パリ郊外だ。ホームステイ先のホストだったシニア男性のライフスタイルと、元プロならではの“プロダクト”による、もてなしの思い出である。

今回は意外なところで出会った、ある元プロフェッショナルとの思い出を少々。

モーターショーを訪れるため、パリに滞在することになった。2022年10月のことである。
かつてショーが開催されていたフランクフルトやジュネーヴでは、ショー期間中は宿泊施設の料金が暴騰するのが常だった。いっぽう幸いなことに、パリは街の規模が大きいため、例年影響は軽微だった。さらに2022年のパリ・ショーは出展社が激減したので、よりホテルの価格は変わらないだろうと、高をくくっていた。

それがいけなかった。約2年半ぶりに新型コロナ禍から解放されて観光が復興したおかげで、花の都のホテル価格は高騰していた。1泊100ユーロ(約14,500円)以下の施設などほとんど無い。あっても、ユースホステルか、ショー会場であるポルト・ド・ヴェルサイユからえらく離れた街区(アロンディスマン)である。

そこで思いだしたのが民泊だ。かつて、NHKのテレビフランス語テキストの連載や、それをもとに2019年に刊行された著書『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)の取材で、たびたび利用してきた。民泊といっても、筆者自身はこれまで出張時は、なるべくオーナー常駐でない施設を選んだ。せっかく彼らがもてなそうとしているのに、こちらが忙しくて、ゆっくりと会話の相手をして差し上げられないのが残念だからである。

そもそも学校時代は一貫して、いわゆる帰宅部、それに会社員時代もあらゆる社内親睦行事を回避してきたという、人づきあいが苦手な筆者である。けっして民泊と親和性が高いほうではない。そこで専門ウェブサイトで「まるまる貸し切り」という選択をすると、オーナーが同居でない物件か多数表示される。こちらはフロントがないホテルのような感覚で使える。部屋の面積も概してホテルよりも広く、キッチンが付いている場合、自分でちょっとした料理ができるので経済的だ。

検索すると、ひと部屋見つけることができた。それも筆者がこれまでもパリでたびたび訪れてきた、郊外の閑静な住宅街である。市電を使ってショー会場まで1本で行けるのもよい。さっそくポチッと申し込んだ。

「まるまる貸し借り」ではなかった

当日イタリアのピサ空港から飛んだ筆者はパリ・オルリー空港に降り立ち、物件に向かった。小さな1戸建てだった。呼び鈴を押すと、さっそくアンドレという名のおじさんが穏やかな表情とともに迎えてくれた。

部屋は地下だった。木製の螺旋階段は狭い。イタリアから来た筆者などはトロリーケースと肩掛けバッグだけだったので良かったが、巨大スーツケースを引きずってきた旅行客は昇降がつらいだろう。部屋の窓は、小さな明り取りと換気用のみ。セミダブルベッドを取り囲むように、スケッチ用の紙ばさみやミシンをはじめ、ありとあらゆるものが置かれ、箱が山積みにされている。

聞けば、そこはかつては、お嬢さんの部屋だったという。服飾デザインを勉強し、すでに結婚して別の街に住んでいるらしい。何年前に結婚したのかは聞き忘れたが、部屋の状態は「彼女が嫁いでいった日で時間が完全に止まってしまっている」と表現するのが最適である。夏は涼しくて快適なのだろうが、この時期は電気ヒーターを常時オンにしていないと肌寒い。アンドレさんは「ずっと点灯していなよ」と勧めるが、同じ欧州在住者として電力料金が高騰しているかと思うと、いたたまれない。加えてイタリアでは、まだ日によっては海で遊べるかと思うと、より寒く感じられた。

しばらくしてもアンドレさんがリビングのソファでテレビを観ているので、どこに住んでいるのかと質問すると、「ここだよ」と答えるではないか。検索サイトで「まるまる貸し切り」というボタンを筆者が押し忘れていたようだ。後日見るとアンドレさんの物件は、「アパート・マンションの個室」というカテゴリーに分類されていた。アンドレさんは独居である。庭いじりが趣味のひとつらしく、「ほら、こんなに育った」と、塀をつたって横方向に伸びるヘチマを誇らしげに指差す。かくもうっかり部屋タイプを間違えてしまった筆者だったが、家主常駐なら常駐で、なにかと安心である。

ところが、意外な訓練が待ち構えていた。家庭用防犯アラームである。渡された鍵のキーホルダーには、それを設定・解除するために使うチップも付いていた。それはAppleのAir Tagに似た形状といえば、イメージしていただけるだろうか。

問題は「チップを壁面の端末に近づける」「外出もしくは帰宅ボタンを押す」といった手順がきわめて複雑であることだった。案の定、筆者が最初に外出しようとしたとき、順番を間違えたのだろう。大音量のアラームが響き始めた。静かな住宅街ゆえ、ひときわ響く。その間にも、知人との約束の時間が迫る。アンドレさんに慌てて電話をかけると、ソファの上で彼のスマートフォンの呼び出し音が鳴った。電話を持たずに出かけてしまったのだ。警報音を聞きつけたアンドレさんが帰ってきたのは、約10分後だった。防犯装置付きの家など住んだことがない筆者としては、到着日早々本当に焦った。

アンドレさんの家は、パリ西郊の閑静な住宅街にあった。

元プロ菓子職人のもてなし

そのようなアンドレさんの家でモーターショー初日の早朝、筆者が見た夢はといえば、中学時代の学園祭だった。家庭科クラブの女子部員たちが模擬店用の菓子を作っている風景である。理由は目覚めてわかった。本当に菓子を焼いた香りが漂っていたのだ。

螺旋階段を上がってみると、テーブル上には何種類ものパティスリーが皿に載っているではないか。明らかに手作りである。

その証拠に、脇のシンクには、昨晩使ったと思われる調理道具が乾かしてある。菓子をひとつつまんで食べてみるとフランボワーズ(木イチゴ)味だった。歯ごたえと柔らかさを両立した繊細さは、どうだ。次に手にとったクレープの、しっとり加減と弾力の調和も見事としかいいようがない。

イタリアの歴史都市に住み、中世伝来といわれる朴訥な菓子ばかり食べている筆者にとっては、世紀を超越した風味だ。思わず朝食がわりに何個も頬張ってから、まだアンドレさんが寝ていると思われる家を後にした。

その晩戻ってアンドレさんに聞けば、今年75歳という彼は、元パティシェ兼ブーランジェ(パン職人)であった。十代半ばで見習いとなり、スイスのサンモリッツやイタリアのサルデーニャ島のクラブメッドで働いていたこともあるという。つまり、プロ職人の味だったのである。翌日も、またその翌日も、筆者がついつい食べ尽してしまうと、テーブル上にはアンドレさんの手作り菓子が補充された。

アンドレさんが作ったパティスリー。歯ごたえと柔らかさを両立した繊細さは、さすがプロ。
キッチン横の棚には、料理・菓子に関する本や、レシピを書き留めてきたノートが。

いっぽうある日、それまで上下スウェット姿がデフォルトだった彼が、ちょっといい格好をしていた。聞けば自治体が主宰するダンスクラブのメンバーなのだという。「こんな雰囲気さ」。見せてくれたスマートフォンの写真には、高齢の方々が社交ダンスを楽しむ姿が写っていて、中にアンドレさんもいる。「女性約30人に対して、男性は約20人。つまり男が足りないんだ。ロレンツォも一緒に行くか?」と筆者を誘う。

丁重に辞退すると、アンドレさんは残念がりながらも、今度は同じスマートフォンの中から、妙に”キメた”写真を見せてくれた。筆者が「何の機会に撮ったものか?」と質問すると、日本でいうところのシニアモデルとしてエージェントに登録したときのもので、今はお呼びがかかるのを待っているのだと教えてくれた。

週に数回、自治体が主宰しているダンスクラブにも通う。

彼の行動力に追いつけるか

最終日の朝、筆者は早めにアンドレさんの家を後にすることにした。旅費を節約すべく、エアポート・バスではなく、市電や地下鉄をひたすら乗り継いで空港へ向かうためである。所要2時間以上だ。基本的に夜型のアンドレおじさんを起こさぬよう、テーブル上に残っていた手作りパティスリーを静かにアルミホイルに包んだ。そして「イタリアで待つ妻の土産のため、少しだけ頂戴します」と書いた紙を用意した。

ところがバスルームから出てくると、アンドレさんが起きていた。「ロレンツォがマダムに持ってゆけるように昨日のうち作っておいたんだ」というので見れば、オーブンに、もう焼くだけの状態で菓子が入っている。できたての菓子を潰さずに入れる余地は筆者のカバンにはない。航空料金を節約すべく、最低限の手荷物でやってきたからだ。

するとアンドレさんは家庭内にあった段ボール箱を物色し、筆者のカバンの空きスペースに合うようナイフでギコギコと切り始めた。その熱意に応えないわけにはいかない。時計とオーブンを交互に睨みながら、パティスリーが焼けるのを待った。ところがようやく焼き上がると、今度は「よし、次は冷却工程だ!」と冷蔵庫の中に入れた。すでに筆者の頭の中には、フライトを逃し、代わりに列車でえんえんとアルプスを越えてイタリアまで帰る自分の姿が浮かんでいた。

筆者が出発する日の朝、菓子を作り始めた。
ソファ脇に置かれたアコーディオン。アンドレさん自身は演奏の趣味はないものの、古い楽器がもつ風合いが好きで手に入れたとのこと。

焼き上がった菓子の箱をカバンに詰め込み、アンドレさんに別れを告げたあと、市電の駅に急行。自分の足でこんなに俊足で走ったのは、高校の徒競走以来である。搭乗ゲートに辿り着いたのは締め切り寸前であった。音大生時代からパリは最も多く滞在した海外都市であり、それにともない空港も数え切れないほど使ってきたが、こんなに肝を冷やしたことはなかった。

だが、おかげで元プロ職人アンドレさんによるパティスリーを、我が家ではその後1週間近く楽しめた。有名菓子店の商品では得られない、心温まるパリ土産だった。

アンドレさんの年齢に筆者が達するまでには、まだ少し時間がある。それまでにパティシエ✕ホームステイのホスト✕社交ダンス✕シニアモデルをこなす彼の行動力に、どこまで追いついているだろうか。そのような楽しい空想に思いを馳せられただけでも、今回のパリ“突然ホームステイ”は、幸せな体験だったのである。

筆者のカバンの空きスペースに合わせて急遽作ってくれた箱に、冷ましたばかりの菓子を丁寧に詰める。

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