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トレイルランニングの“レジェンド”鏑木 毅が語る「モノ」へのこだわり:#02 トレランシューズ

佐々木 希 THE NORTH FACE SUMMIT VECTIV PRO 2024.12.13

日本を代表するトレイルランナーである鏑木 毅選手に、PARCFERME独自の視点から「モノ」について語ってもらう全6回の連載企画。気候や路面の変化と闘いながら自己のパフォーマンスを最大限発揮することを目指すトレイルランニングにおいて、ランナーはどんな観点でギアやツールを選ぶべきなのか。

第2回の今回は、ランナーと路面を結ぶ最大の接点であり、最も重要なアイテムといえる”トレランシューズ”についてお届けする。

——トレイルランニング用ギアの中でも、一番大事なものと感じられるのがシューズです。路面をがっちり掴むグリップ力、素早い足運びのための軽量さ、そして長距離をこなせる衝撃吸収性が求められます。長いキャリアの中で、鏑木さんはその進化をどう観察してきたのでしょう?

鏑木 毅(以下、鏑木):シューズが走りに与える影響は大きいですね。私がこのスポーツを始めた28年前には、トレイルランニング”専用”のシューズはまだ存在しませんでした。ようやくトレラン用のものが出てきてからも、メーカーは軽量化に苦労し、試行錯誤が長く続きました。そんな時代を経て、カーボン素材の導入などさまざまな技術革新が起こり、トレランシューズは飛躍的に進化したといえます。

まだ専用のシューズが確立していない状況で、鏑木氏はこのスポーツを始めた。

——現在、鏑木さんはザ・ノース・フェイスの「サミット ベクティブ プロ」というシューズを愛用されているそうですが、具体的にどのような点が優れているのでしょうか?

鏑木:ザ・ノース・フェイスのサミット ベクティブ プロは、反発力の高いカーボンプレートを採用するなど、最先端の技術を取り入れています。100マイル(約160km)を走る際、特に120kmを過ぎたあたりから筋肉の破壊が進み、足に絶望的な激痛が走ることがあります。しかし、このシューズは高い反発力を備えつつ、厚底で衝撃吸収性が高く、トレイルランニングに適したラグ(突起)を持ちながらも軽量なので、ロード(舗装路)や林道(未舗装道路)でも軽やかに走ることができます。

かつては、トレランシューズ独特の重さと衝撃吸収性の低さがゆえに、「トレラン用のロードの走り」といった具合に、ロードと林道区間と山岳区間でフォームを変えていたんですよね。このシューズではその必要もなくなりました。

「不整地を走る」ためのシューズは研究開発を続け、新規参入してくるメーカーも増えている。このスポーツがますます発展していくことが予想される。

——フォームを変える、とは具体的にはどういうことですか?

鏑木: ロード区間ではフォアフットで、しかも腰を高く保つ走法に切り替えなければなりませんでした。しかし、今のシューズでは山を走るのに向いた、小さな走り方でも十分な反発力を得られます。フォームを意識的に変える必要がないので、長いレースでも少ないダメージのまま、最後まで走り切ることができます。

もし私が全盛期の時代にこの軽さと反発力、そして衝撃吸収性を兼ね備えたシューズがあれば、地獄のような痛みと闘わずに済んだのではないかと思います。今の選手たちがうらやましいです。私たちの時代は、痛みを我慢することが当たり前でしたが、もうそんな苦行は無縁です。

ザ・ノース・フェイス「サミット ベクティブ プロ II(メンズ)」。ソールユニットには、着地時などの横ブレを抑えるウィング形状の3Dカーボンプレートを備えている。ソール部分と左右フロント部分にカーボン素材が露出しているのが外観上の特徴。

——トレランシューズにカーボンが使われ始めたのは、ロード用シューズと同じ時期だったのでしょうか?

鏑木:ロード用シューズの方が先行してカーボンを使い始めました。そのメカニズムがトレイルランニング用シューズにも応用されています。

ロード用シューズに用いられるカーボンプレートは、ランナーの脚力を最大限利用するため、反発力が強く設定されています。平坦な場所ではそれで問題ありませんが、トレランで走る傾いた路面や不整地では、入力の方向が真上だけではなく、前後左右にばらつくため、反発力のコントロールが難しく、非常に走りにくくなります。

このため、サミット ベクティブ プロのカーボンプレートは、単純な板型ではなく、複雑に枝分かれした3D形状を採用し、どのような斜面でも適切な方向にしっかりと反発力を発揮し、走りやすい構造になっています。ロードシューズにはない発想で作られたカーボン構造と言えます。

——「カーボンシューズは上級者向け」というイメージがありますが、サミット ベクティブ プロを使うことで、トレラン初心者にもメリットはありますか?

鏑木:軽さと反発力、そして衝撃吸収性の面がメリットです。カーボン特有の反発に慣れは必要ですが、トレイルの複雑な地形に対応する構造により、ロード用のそれよりも反発具合は少し抑えられているので、ロード用シューズよりも上級者向けと初級者向けのスペックの差が少ない。履きこなすのに時間はかからないと思います。

トレイル用のランニングシューズを20年以上見てきましたが、カーボン素材の導入は、記録やパフォーマンスの向上に大きく貢献する画期的な出来事です。

THE NORTH FACE サミット ベクティブ プロ II(メンズ)
https://www.goldwin.co.jp/ap/item/i/m/NF02401

32mmも厚みのある高反発EVAミッドソールを配置して、足の負担を軽減しながら安定感と推進力を高めている。

—— ザ・ノース・フェイスのシューズ開発に際しては、鏑木さんのトップランナーとしての意見が反映されているのでしょうか?

鏑木:発売より1年ほど前、テストの段階から、私を含むザ・ノース・フェイスのアスリートたちにプロトタイプ(試作)のシューズが渡され、開発者たちにそのインプレッションをフィードバックします。例えば、アッパーを軽くしてほしいとかアウトソールをこうしてほしいとか、さまざまな意見を出すのです。それに基づいて改良が行われ、最終的に製品が完成します。そこのコミュニケーションは相当熱心にやっています。

サミット ベクティブ プロの開発は、コロナ禍の2020年頃から始まりました。レースが開催されない時期でしたが、新しいシューズが開発され、早く走りたいという気持ちでいっぱいでした。

——プロトタイプには、特別な色やデザインが施されているのでしょうか?

鏑木: プロトタイプのテストでは、色やロゴの入れ方など、デザインも含めた機能性が評価されます。市場に出る形で試されることが多く、特別なデザインを使うことはあまりありません。色やデザインが持つ、アスリートのモチベーションに対する効果も考慮の対象とされるのです。

——カーボンシューズは速くないランナーでも履きこなせるものでしょうか?

鏑木:ちゃんとカーボンの構造を理解すれば履きこなせると思います。カーボンのメリットを活かして走れるようになれば、とても楽しくなりますよ。

シューズの力に頼りすぎると、助けられすぎちゃってこれでいいのかなと思うときもある。しかし、特に私のように脚力が衰えてきているランナーにとって、カーボンの力が年齢による衰えを補ってくれるのは明らかです。

——鏑木さんご自身にも、カーボンシューズに対する抵抗はあったのでしょうか?

鏑木: 実は私も最初は抵抗がありました。プロトタイプを履き始めて最初の半年くらいは、人工的な感覚を強く覚えましたし、自分の足でしっかり地面を捉えて登ることが本来の姿だと考えていました。しかし、使いこなしていくうちに、その感覚にも慣れていきます。

実を言うと練習ではプロトタイプの薄いシューズも使っているんですよ。練習のときに結構薄いシューズでガツガツ足に衝撃を与えて鍛える。そしてレース本番では最上級のカーボンシューズを使います。私はこのようにギアの使い方を工夫することで、パフォーマンスを向上させています。

鏑木氏所有の「サミット ベクティブ プロ」

——プロならではのギアの使い分けというのもあるのでしょうか?

鏑木:ギアの使い方やタイミングを誤ると、怪我につながったり、パフォーマンスが落ちたりします。プロのアスリートには独特の嗅覚みたいなものがあるのですが、ギアの使い分けは非常に重要です。私は自宅に多くのギアを保管していて、いつも「ふざけるな」と言われてしまうほど。特にシューズは50足ほどあるんですよ。新旧のシューズを比較することで、改めて新しいシューズの進化を実感することができます。良いシューズが出てくると、それまでのシューズの弱点が見えてくることもある。なかなか古いものも捨てられないですよね。

——トップ選手でも、わざわざ古いシューズを履くことがあるんですね!

鏑木:シューズの機能が落ちた状態で使った方が、自分を鍛えるために、いいシチュエーションもあるんですよね。よりダイレクトに、自分の体で何とかしようという機能を呼び起こすような。その過程を経て最新のシューズを使う。

練習で富士山に行くとシューズがボロボロになるので、古いシューズを履いて使い切ることもあります。これまでのトレーニングの結果を感じながら、シューズに最後のとどめを刺して終了させるという感覚です。

THE NORTH FACE RUN
https://www.goldwin.co.jp/tnf/run/

捨てられない靴がどっさりあるというので、その写真をお願いしたのがこちら。

<つづく>

鏑木 毅
2009年世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(現UTMB、3カ国周回、走距離166km)」にて世界3位。

また、同年、全米最高峰のトレイルレース「ウエスタンステイツ100マイルズ」で準優勝など、56歳となる現在も世界レベルのトレイルランニングレースで常に上位入賞を果たしている。

著書に「アルプスを越えろ!激走100マイル(新潮社)」「トレイルランニング入門(岩波書店)」、「トレイルランナー鏑木毅(ランナーズ)」、「トレイルランニング(エイ出版)」、「全国トレイルランコースガイド(エイ出版)」「トレイルランニング~入門からレースまで~(岩波書店)」などがある。

2009年のウルトラトレイル・デュ・モンブランでの世界3位はNHKドキュメンタリー番組(DVD「激走モンブラン」)となり、日本でのトレイルランニングの盛り上がりの火付けとなった。
2011年11月に観光庁スポーツ観光マイスターに任命される。
現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなど国内でのトレイルランニングの普及にも力を注ぐ。

アジア初の本格的100マイルトレイルレースであり、UTMBの世界初の姉妹レースであるウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)の大会会長を務める。また自らがプロデュースしたトレイルレース「神流マウンテンラン&ウォーク」は2012年に過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞、疲弊した山村地域の振興、地域に埋もれた古道の再生など地域を盛り上げるモデルケースとなっている。

鏑木毅オフィシャルサイト
https://trailrunningworld.jp/profile/

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