LONG-TERM TEST

12気筒フェラーリを(たまに)走らせる毎日 #01

フェラーリを買った私に起こった変化 2006年式 購入:2021年7月

田中 誠司 フェラーリ612スカリエッティ 2022.04.18

クルマをめぐる妄想が消えた

昨年の7月23日にフェラーリ612スカリエッティはぼくの手元に来た。どうしてこのクルマを選んだのか、的な話はほかのリポーターたちも述べているから、ぼくはあえて順を追わず、「フェラーリを買った結果、何が変わったか」から記しておきたい。

一番顕著な変化は、「次はあのクルマが欲しい」という妄想を、日々の生活で思い描く機会がなくなったことだ。

いわゆるカーマニアだという自覚がある、つまり他のどんな趣味と比べてもクルマだけはおろそかにできないという人々にとって、「次はどんなクルマに乗ろうか?」というのは永遠かつ定常的な疑問であるはずだ。

ぼくにとってもそれは同じで、10代の頃から自分の生活や収入やいろんなものを代わる代わる天秤にかけては、シミュレーションを果てしなく繰り返して、その作業が尽きることはこの30年近く、ついぞなかった。

学生の頃の理想は、しばらくお金を貯めて385万円のBMW 318isクーペのマニュアル車を買う、ということだったが、給料の安い出版社に勤めたおかげで資金は一向に貯まらない。ところが雑誌の編集長になった機会にその 318isを長期テスト車として会社に買ってもらうことに成功し、毎日通勤に使うことができる幸運に浴した。

その後もキャデラック、トヨタ、メルセデス、アウディ、と会社が買った(うち後の2台は借りた)車両をいくつか転々とする間に、自分ではアルファ・ロメオ、ポルシェ、ジャガーと別のブランドに手を出していたので、学生時代に走らせた日産、ホンダ、ボルボ、VW、シトロエンを含めると、すでに結構な数のブランドを経験したことになる。

妄想を描くことがなくなった理由のひとつは、そうした地図の塗りつぶしのような作業において、最も達成が難しいうちのひとつと思われるフェラーリというブランドにたどり着いて、中でも自分と最も相性が良さそうなモデルを入手できたからだ。

photo: J.ハイド フェラーリの名前はトランクリッドの上に貼られている。上に貼ってあるクルマってあまりない。謎だ。

もうひとつは経済的な負担である。ローンと駐車場と税金と保険、それだけで毎月の出費は15万円に及ぶ。東京都心で1000万がたするクルマを所有していれば、それくらい出している人は珍しくもないのかもしれないが、ぼくにとっては余計な想像力を失わせるに十分な金額だ。

しかも保証のついた新車ならいいが、これは製造から15年も経過した、しかも新車当時は3500万円もしたモデルである。万一のことがあれば事故も故障も、目から星が飛び出すような金額になるに違いない。

もちろんそんなことは事前の脳内シミュレーションで想定し、散々思い悩んだことで、それでもなお自分は、このタイミングで612スカリエッティを入手したかったのだ。

「このタイミング」には、経済力、年齢、経験、感性といった、完全に自己に属する要素に加えて、12気筒フェラーリは今後極めて限られた数しか生産されないであろうという目算や、たまたま自分が現在「ENGINE」誌で612スカリエッティのデザイナーである奥山清行氏の「一代記」を執筆していて、詳しく話を聞くことができる、という状況が含まれる。

しかもちょうどそんなとき、自分がかねてから「一度はこの人からクルマを買いたい」と考えていた輸入車販売店、コレツィオーネの成瀬健吾さんのところに、思い描いていた個体が舞い込んで来たのだ。

ここはどうしたって勝負するしかないでしょ、という瞬間に、当たるかどうかはともかくもバットを振れた快感が非常に強く、幸い経済的にもシリアスな状態にはなっていない、ということが、ほかのクルマに対する興味すら薄れさせている、というのがいまの自分とフェラーリの状況である。

はたしてハッピーエンドを迎えられるのかどうか、ぼく自身まったく見えていない行方をこの連載で紹介していくのでお楽しみに。

photo: J.ハイド ナンバープレートの脇にあるCLUB ITALIAのプレートの由来は、成瀬社長にもわからないとのこと。キレイに剥がれるかどうかもわからないし、なにか由縁のあるものかもしれないのでそのままにしてある。

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