INTERVIEW

N響コンサートマスター篠崎史紀が語る 「僕が夢中になったもの」#02

第2回:お爺さんの言葉

馬渡 菫 2023.04.03

NHK交響楽団で長年コンサートマスターを務めてきた音楽家・篠崎史紀。
「マロ」の愛称で親しまれ、個人としても「MAROワールド」や「マロオケ」などの活動を通じてクラシック音楽の魅力を広く伝えてきた。華々しい経歴とは裏腹に等身大の“少年”でもあった篠崎氏。そんな彼の原風景に迫った。

第2回は、音楽の道を志すきっかけとなった出会いについて紹介する。

ヴァイオリンは“歯磨き”

ヴァイオリン以外は、普通の子どもでした。友達とカブトムシやカマキリをとったり……子どもなりにやりたいことをやる日々を送っていました。ただ1つだけ違ったのは、両親が幼児教育の専門家ということもあり、物心ついた頃からヴァイオリンが常にある生活だったということ。まるで歯磨きのようなもので、毎日弾かないとなんだか気持ちが悪いものでした。それ以外は、至って普通の男の子でした。

ヴァイオリンが、目指すものに変わったのは、21歳の頃。当時、僕はウィーンの音楽学校に通っていたのですが、やりたいことがなかなか見つからない日々を過ごしていました。オーストリアでは21歳になると成人式を迎えるのですが、友達と喋っていたら、みんな自分の意思をしっかりと持っていて、将来像について熱く語っていたんです。その時に、自分はどんな大人になりたいのか想像してみたら、「一生友達でいられるものと、一緒にいたい」という気持ちが、自然と湧き起こりました。「こんな職業に就きたい」ではなく、“それ”と一緒に過ごすことで、自分に“何か”が求められれば良いなと思ったんです。その観点で考えたとき、僕にはヴァイオリン以外にはなかった—―。つまり消去法で残ったのが、ヴァイオリンでした。

「音楽をやめるな」

ウィーンを訪れた16歳の頃、少し風変わりなお爺さんと出会いました。そのお爺さんは、僕に会うたびに同じことを口にするんです。「音楽をやっている」と伝えると「音楽は素晴らしいから、絶対続けなさい」「音楽には人智を超えた何かがある。絶対何かある。だから続けなさい」って。

最初は、変なお爺さんだなぁ、と思っていました。でもある日のこと、そのお爺さんの友人に「おじいさんって、いつも僕に同じことを言うんだけれど、なんでだろう」と話したら、「彼は、音楽にすべてを助けられた人なんだよ」と言われたんです。お爺さんは、どうやら強制収容所から帰還したユダヤ人で、 “音楽”という存在のおかげで生き延びることができた。だから、ずっと「音楽をやめるな」と言い続けてくれていたんです。そんな体験から、僕自身も次第に「音楽ってもしかすると凄い力があるのかもしれない」と思うようになりました。実際、世界各地の古代遺跡では110Hzの音がずっと鳴っていたり、432Hzの音を聞くと人は物凄くリラックスできて、そこからバロック音楽が流行ったり……歴史や科学を振り返ってみても、人は知らず知らずのうちに音楽から影響を受けていることがわかりますよね。

青春時代を過ごした“音楽の都”ウィーンは、ハプスブルク家の栄華を伝える歴史的建造物が立ち並ぶ。世界3大歌劇場のひとつに数えられるウィーン国立歌劇場では、日本の成人式にあたる「オーパンバル」が年1回開催され、燕尾服やイブニングドレスを身にまとった若者たちが、朝まで踊りあかす。

僕の役割は“継承”

日本は、とても不思議な国です。歴史を振り返っても、色々な宗教があるのに宗教同士の争いがあまりない国は、世界を見渡しても日本くらいじゃないでしょうか。日本人は、物質的なものや数値化されるものには物凄く反応しますが、そうでないものにはあまり興味を示しません。だからでしょうか。それらとは全く異なるフィールドに存在する“音楽”へのリスペクトが、徐々に薄れてきていると感じます。

オーケストラは、“音楽”を大事に思ってくれる人を1人でも多く増やしていくことができる場です。僕がコンサートマスターを務めるNHK交響楽団は、1926年の設立以来、第2次世界大戦や空襲の中でも演奏会を止めませんでした。およそ90年にわたって、物質的な富とは全く別のものが存在するということを伝え続けてきたんです。それって、揺るがない信念や決断がないとできないことですよね。

戦争でも止めなかった演奏会を、2020年、コロナによって3カ月ストップせざるを得なかったのは、とても残念でした。でもそれは、未来へジャンプするために必要な充電期間だったと、今では前向きにとらえています。安全性をしっかりと検証しながら、プログラミングを1時間に組み替えてみたりと、演奏スタイルも一新しました。

かつてヨーロッパでペストが流行った時代、ショパンは非常事態の最中でも演奏会を開催していました。「会場に人が集まらなくても、やることに意義があった」とのちに彼は語っています。コロナも一時は、死につながる病として世間を騒がせていました。けれど、この苦難の時期を耐えて、乗り切るという“1つの歴史”を超えてきたからこそ、若い演奏家たちにバトンタッチできるのではないでしょうか。N響や音楽が脈々と培ってきた価値を、次世代へ継承していくこと。それが僕の役割だと思っています。

(左)1927年に行われた、N響の前身「新交響楽団」による第1回定期公演(指揮:近衛文麿)の様子。N響は長年にわたり聴衆を魅了する演奏を送り届け、クラシック音楽を日本に根付かせてきた。(右)現在はパーヴォ・ヤルヴィの後を継ぎ、ファビオ・ルイージが首席指揮者を務めている。

きっと世界を救うもの

ヨーロッパへ渡った時にまず感じたのは、人種が違う、言語も違う、そして宗教も違うということ。これって、歴史を振り返ると戦争の火種になったものばかりですよね。でも現地では、音楽や楽器を通じて、たくさんの人と友達になることができました。僕は西洋人でもクリスチャンでもありませんでしたが、教会でヴァイオリンを弾かせてもらったこともあります。それって音楽をやっていたからこそ、実現したこと。言語が異なる人と同じものを共有できたのは、まさに音楽をやっていたおかげです。音楽というものに、僕はとても助けられてきました。

昔、国連事務次官をされていた明石康さんとお話したことがあります。彼は当時、戦禍のサラエボにいたのですが、現地には楽団があって、そこではどの民族も音楽で繋がっていると教えてくれました。でも別れ際はいつも、「明日会えたらいいね」と言うのだそうです。もしかすると、死んでいるかもしれないから。

かつて、レーガン大統領は「世界中の人がいがみ合わなくなるためには、宇宙人が地球を攻めてくる以外ない」と語りましたが、僕は、音楽を世界中で分かち合うことができたら、戦争はなくなるのではないかと思っています。例えば、スポーツには勝ち負けが存在しますが、音楽には勝敗がありませんよね。優越感や快感に浸るのではなく、誰かと分かち合うことによって大きな広がりを見せていく……音楽ってそういうものだと思います。アホな夢を見ているなぁと思われるかもしれませんが、僕は、世界を救うのはきっと“音楽”だと信じているんです。

指揮棒を収めるケース、そしてヴァイオリンのテールピースに描かれているのは、金沢の職人の手による鳳凰の蒔絵。ヨーロッパ留学は音楽を学ぶだけでなく、日本の文化を振り返るきっかけになったという。

<つづく>

篠崎史紀 プロフィール
北九州市出身。3歳より父篠崎永育よりヴァイオリンの指導を受け、1981年ウィーン市立音楽院に入学。88年帰国後、群馬交響楽団、読売日本交響楽団を経て、97年よりNHK交響楽団のコンサートマスターとして活躍。今年1月、定年のため第1コンサートマスターを退任。4月より特別コンサートマスターに就任。現在は昭和音楽大学、桐朋学園大学にて教鞭をとる。WHO国際医学アカデミー・ライフハーモニーサイエンス評議会議員。
https://maro.shinozaki-vn.com/

◆篠崎史紀氏 イベント情報
「ピアニストのための室内楽セミナー&演奏会」
2023年4月8日(土) 開演2:00pm 中津文化会館 大ホール

「篠崎史紀 弦楽アンサンブル」
2023年4月23日(土) 開演3:00pm 八ヶ岳高原音楽堂

◆NHK交響楽団 定期公演スケジュール
「第1980回 定期公演 Aプログラム」
1日目 2023年4月15日(土) 開演6:00pm NHKホール
2日目 2023年4月16日(土) 開演2:00pm NHKホール

「第1981回 定期公演 Cプログラム」
1日目 2023年4月21日(金) 開演7:30pm NHKホール
2日目 2023年4月22日(土) 開演2:00pm NHKホール

「第1982回 定期公演 Bプログラム」
1日目 2023年4月26日(水) 開演7:00pm サントリーホール
2日目 2023年4月27日(木) 開演7:00pm サントリーホール

お問い合わせ
N響ガイド:03-5793-8161(平日:11:00~17:00)
https://www.nhkso.or.jp/

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