コンテナ船を徹底追跡! Der FREIRAUM デアフライラウム 自由な余白“ ”♯20
From Hamburg to Yokohama
横川謙司 フォルクスワーゲン・ゴルフ 2023.11.18ビショフベルガーCaddy キャンパーに魅せられた筆者の当連載も今回で20 回目です。大きな40ft コンテナで、ついに2 台のCaddyを個人輸入。ここしばらくは、その旅路を追跡していました。ドイツを出たコンテナが日本到着までに要する期間は約2ヶ月です
船舶追跡アプリとライブカメラでマルシェン・マースク号を追う
ハンブルクからは400m級のメガコンテナ船に積まれるのですが、”このクラスの船“ が入れる水深の港が日本には無いそうで、上海にて一回り小さなコンテナ船(それでも300m あります)に積み替えられます。コンテナには個別の番号が振られていて、コンテナヤードへの搬入や船に積まれた時間などのデータが見られます。コンテナ船の現在位置も随時アプリでトラッキング出来ました。航海中は、プレゼントを待つ子どものようなワクワクと、嵐に遭わないで欲しいというドキドキのハーフ&ハーフな心境。自分の荷が載っていることで、物流の世界が一気に自分ゴトと化し、トラッキングアプリに映る膨大な数の船影に感心しきりでした。
この時まで、このようなコンテナ船が「各駅停車」のように各国に寄りながら進むとは知らずにいました。2 台のCaddyを載せたマルシェン・マースク号は、ドイツを出た後イギリス、フランスに寄って、ジブラルタル海峡から地中海を進みます。
ジブラルタル海峡では、なんとライブカメラで遠く船影を捉えることに成功しました。スエズ運河では、たくさんの船が順番待ちしている様子が見えましたが、大型船はさほど待たされることなく運河へ(ちなみに通行料金は数千万円とか)。水路に入ってからはあっという間に紅海へ抜けました。スエズ運河では、海賊対策なのかいくら探してもライブカメラは見つからず 。......
ドローンと釣り船でマースク・ベントンヴィル号を追う
その後も数カ国に寄港しながら、インド沖、マラッカ海峡を経て上海へ。上海のコンテナ埠頭は自動化されているらしく、数千個のコンテナを 1 日で下ろし、積み替えていました。上海から横浜までは2 日ほど。予定では朝10 時に横浜入港ということで、ある計画を実行に移すことに。
それは、東京湾へ入ってくるコンテナ船をドローンで空撮する、というもの。湾の入り口である浦賀水道は幅6 キロと狭く、北行きの航路は神奈川県の観音崎寄りを通ります。この距離ならドローンが届き、かつ幸いなことにこのエリアはドローン禁止区域ではありません。夜中では無理でしたが、陽のある時間帯に通るなら空から出迎えようというわけです。
陽が昇る朝4 時、友人に付き合ってもらって観音崎で夜明けを待ちます。時折小雨のパラつくなか、岬の向こうに船が姿を現したのは6 時。2 台のCaddyを載せたマースク・ベントンヴィル号が、徐々に近づいてきます。6 時18 分、ドローン離陸。沖のコンテナ船まで約2km、5 分くらいで到達します。高度をあげるとカラフルなコンテナが見えました。この中のどれかのコンテナに我がCaddyが!
ドローンの飛行速度と同じくらいの俊足で、船はどんどん遠ざかります。飛行限界の2km に達してしまったので、前方に回ることはできませんでしたが、巨大なコンテナ船の航行シーンを収めることができました。
その後は、横浜港に移動して接岸している船の脇まで行こうと釣り船をチャーター。大型船のマークス・ベントンヴィル号が着くのは南本牧埠頭です。日本ではここが最も水深があるのですね。横浜ぷかり桟橋を出た釣り船は、ベイブリッジをくぐって埠頭を目指します。30 分くらい走ってようやく辿り着くと、巨大なキリンのようなガントリークレーンが忙しく働いてコンテナを下ろしているところでした。茶色いコンテナ、というのはわかっているのですが、むろん特定などできません。クレーンのスピードは想像以上に速くて、しかもワイヤで吊ったキャッチャーが「ガチャーン!!」と一発でコンテナを掴む様子にプロの凄さを垣間見ました。
陸揚げ後は、通関業務が待っています。この通関が無事にいくかとても心配で、仮組みされているCaddyも、ビショフベルガー・キャンパーも申告書類に不備はないか、ややこしい追加検査にならないか、と祈るばかり。この通関さえ無事に済めば、国内登録には絶対に欠かせない「自動車通関証明書」が取得できるのです。
自動車の輸入では「通関後にコンテナから車を出す」パターンと、「コンテナから出して税関検査する」というパターンがあるようです。前者であれば「コンテナ開封の儀」に立ち合うことができます。陸揚げから引き渡しまでは一週間ほどかかるので、再び祈りながら待つ日々。果たして数日後「無事通関」の一報があり、陸揚げから 7日後に引き取り、というスケジュールとなりました。引き渡しは「大黒埠頭のヤード」ということで、愛車のGolfI で向かいます。照りつける太陽の下、シールで封印されたままのコンテナがドーンと置かれています。通関検査は開封せずに済んだようです。コンテナごと通す巨大なX 線カメラがあるようで、ぜひそのレントゲン画像を見たかった 。......
ヤードのお兄さんたちが「開けていいですか?」と確認してくれます。カメラを構えて金属シールの切断をお願いします。ガチャンガチャンと取っ手が操作されて、コンテナが開きました。明らかに違う、異国の匂いの空気が流れ出します。
とうとう来たのか......
感無量とはこのことです。まずは、ビショフベルガー・キャンパーのエンジンをかけてコンテナから引き出します。2ヶ月ぶりでも問題なく始動。バックで日本の地に降り立ちました。Caddyの方は、友人とヤードのお兄さんたちが押し出してくれます。
ここまでいろいろありすぎたけれど、無事に来たんだな。この日は猛烈に暑かった。私の心も熱かった。ここまでも長い道のりでしたが、走り出すにはまだどちらも大変な行程がこの先に横たわっています。ビショフベルガー・キャンパーは、内外装共に車齢 38 年なりのヤレがあり、機関部分も含め大幅なレストア作業が必要です。Caddyは、そもそも色も塗っていないフレームの状態ですし、エンジンも再生せねばなりません。それぞれ、別の工房が引き受けてくださることになり、ビショフベルガー・キャンパーは大阪・茨木へ、Caddyは兵庫・尼崎へ。
大事な大事な「自動車通関証明書」は、ヤードとは別の、通関業者さんの事務所で受け取りました。手にしたA4 の証明書には威厳たっぷりのハンコが押され、再発行はしないから失くすな、と。そして、車名の所には「VOLKSWAGENCADDY」、形状の所は「AUTOMOBILE」と刻まれています。ついに日本で自動車として認められたのです。大きな関門を突破した気分でした。
何度か書いてきたように「フレームの状態で通関すると” 部品 ”という位置付けになる」という話から、エンジンを載せてタイヤも装着したCaddyでしたが、例のレントゲン検査でどこまでそのあたりを見たのかは未知数です。ともあれ、万一コンテナから出しての検査だった場合は、自動車(この定義も結局曖昧ですが)として不備がある状態では通関がスムーズではなかったことも考えられるので、ヨーゼフ達にがんばって復元してもらったのは正しかったのだと思います。
ここからは、ビショフベルガー・キャンパーは仮ナンバーをとって大阪まで自走Caddyは積載車を頼んで兵庫へと、それぞれ面倒を見てくれる工場まで移動します。到着後休む間もなく、2 台は日本の地での新たな旅へ。
(トップ画像:遠路遥々やってきたコンテナの封印は、友人に刻印を入れてもらった台座にディスプレイ。コンテナ船とトラックのミニチュアも寄贈いただきました。)