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トポ・ジージョの大好物と高速道路の深い関係 ― 大矢麻里&アキオの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #11

大矢 麻里 Mari OYA/イタリア在住コラムニスト Pavesini 2023.09.09

イタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。

創業者はマーケティングの天才

今回はイタリアのアウトストラーダ(高速道路)と深い関わりがある、お菓子のお話を。

「パヴェジーニ Pavesini」は、イタリアにおける国民的ビスケットのひとつです。ちょっと小腹が空いたとき口にしたり、コーヒーのお供としてカップに浸すと、あっという間に溶け出してしまうソフトな食感です。長年親しまれているのは、毎日食べても飽きない素朴な味ゆえでしょう。イタリアを代表するドルチェのひとつ、ティラミスの材料としても欠かせません。

パヴェジーニの故郷は、ミラノの西・約60キロメートルにある町ノヴァーラです。1934年、兄とともに同地に引っ越してきたパン職人マリオ・パヴェージは、地元の伝統菓子「ビスコッティーニ・ディ・ノヴァーラ」の製造販売を手がけていました。

第二次世界大戦が始まると、原材料は配給制になりました。しかし、マリオの店は当局から兵舎や病院などへの納入業者に指定されたことで生き延びます。

戦後のマリオは、駐留アメリカ兵のスナック菓子をつぶさに観察。従来のビスコッティーニ・ディ・ノヴァラをベースに栄養学者の助言を採り入れた、より健康的なビスケットを開発しました。1948年にはその形状を意匠登録。続いて1952年には自らの姓Pavesiにイタリア語の縮小語尾-ini を足した商標「パヴェジーニPavesini」をつけて売り出します。小ささ・軽さを消費者にイメージさせるためでした。栄養価が高く、また低脂肪のパヴェジーニは、子供だけでなく大人にも人気を博すようになりました。

マリオは販売方法にも工夫を凝らしました。それまでのビスケットが1個単位もしくは大型缶で売られていたのに対し、彼はパヴェジーニを手頃な価格の数個入りパック入りとしたのです。

さらに米国視察を通じて、宣伝の威力に注目したマリオは、広告にも力を入れます。初期の広告コピー「いつでもパヴェジーニ・タイム」は、ブランドを象徴するキャッチとして定着しました。

電波広告にもパヴェージ社はいちはやく取り組みました。イタリア唯一のテレビ局であった公営放送RAIが受信料収入を補うため開始したCMタイム「カロセッロ」に1963年から出稿を開始。アニメーション作家マリア・ペレーゴによるネズミのキャラクター、トポ・ジージョを起用したパヴェジーニのCMは、イタリアの広告文化史を象徴する際に欠かせない作品となりました。

あるアンティークショップで売られていた陶器製トポ・ジージョ人形。パヴェジーニのCMキャラクターとして活躍していた時代のものと思われます。


1966年のテレビCM。トポ・ジージョが運転するクルマとアルファ・ロメオ ジュリアGTがあわや接触事故? 今日パヴェージは、パスタで知られるバリラ・グループの一ブランドとなっています。

モータリゼーションの波に乗って

では、なぜパヴェジーニと高速道路は関係があるのでしょうか?

イタリアでは1950年代末から60年代初頭の高度経済成長期を中心に、アウトストラーダ網の拡充が図られました。

マリオ・パヴェージは、そうしたモータリゼーションも先読みしていました。戦後僅か2年目の1947年、ミラノ-トリノ線のノヴァーラ料金所近くに売店を開設。それは、今日におけるサービスエリア(SA)食堂の前身でした。やがて全土のSAにパヴェージの看板を掲げた食堂を続々開店してゆきます。

マリオ・パヴェージが1947年に開いたショップ&バール。(Photo: ARCHIVIO STORICO BARILLA)

1959年には、ミラノ-ナポリを繋ぐA1号線に、欧州初の跨線橋式SA食堂を開業します。続いてパヴェージは、同様のスタイルをイタリア各地のアウトストラーダで展開。それらは今日、イタリアの戦後商業建築史を語るうえで、欠かせない例となっています。当時の記録写真をみると、テーブルには白いクロスが掛けられ、ウェイターも正装という、今日のSAにはない高級感が漂っています。人々は眼下を走る車を眺めながら、優雅な食事を楽しんだのです。また、併設の売店は、新商品が地方まで行き渡らなかった時代、前述のカロセッロで目にしたパヴェージ社製品を真っ先に入手できる場所でもありました。

1963年、ローマ郊外のフラスカーティに作られた跨線橋式サービスエリア。(Photo: ARCHIVIO STORICO BARILLA)
パヴェージのSAレストランで使用されていたお皿。(Photo: ARCHIVIO STORICO BARILLA)
パヴェージのパンフレットには、跨線橋式サービスエリアで楽しむ人々の姿が。(Photo:Autogrill S.p.A.)

今日でもイタリア各地には当時パヴェージが開設し、古き佳き時代の面影を残すSA食堂がみられます。ミラノ郊外ライナーテにあるヴィッロレージ・オヴェストSAもそのひとつ。1958年にオープンしたもので、跨線橋式ではありませんが、アメリカで一世を風靡したグーギー(Googie)建築に共通する、未来的なアーチが目を引きます。

この建物は2020年に「アウトグリル1958」としてリニューアルオープンを果たしました。内部の中央には、当時の雰囲気を再現した豪華なシャンデリアが下げられています。
売店にはもちろんパヴェジーニが!今や全国のスーパーで手に入れられるお菓子となりましたが、あえてSAで買って味わってみると、ハイウェイのドライブが一大イベントだった時代と、初めてのクルマを手に入れた家族の喜びが瞼に浮かんでくるのです。

1958年完成のヴィッロレージ・オヴェストSA。パヴェージの看板を3本の鉄骨アーチが支えています。(Photo: ARCHIVIO STORICO BARILLA)
パヴェージのSA食堂事業は1977年、同業2社と統合。「アウトグリル」となって現在に至っています。ヴィッレロージ・オヴェストSAは2020年に「アウトグリル1958」として改装オープン。ちなみに道路を挟んだ反対側には、アルファ・ロメオ博物館があります。
「アウトグリル1958」の内部。今日ではセルフサービス式レストランですが、いにしえの面影が残ります。
今日パヴェージのラインナップには、塩味バージョンも。これはトウモロコシ風味。

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