2年で「100マイラー」への道 :#02 トレイルランニングとの出会い──屋久島の深緑と三筋山の風
田中誠司 2026.02.232025年4月、PF編集長は日本一のトレイルランニングイベントと呼ばれる「Mt.FUJI100」168kmレースを完走した。フルマラソン4回分の距離を、山坂を上り下りしながら丸一日以上かけて寝ずに駆け回るというこのレースには、日本中から2000人を超えるランナーが集まる。完走できる体力や走力を養うだけでなく、出走する資格を得るのも大変だから、通常は数年の準備期間を要するとされる。しかし、やるとなったら最短コースを選ぶのがこの人のスタイルだ。ゼロに近いランニング経験から2年で目標を達成する道のり。今回は自身がトレイルランニングに目覚めるまで。
白谷雲水峡の滑る下り:山と走る感覚が交差した瞬間
そもそも、山登りとランニングというキーワードは長く自分の中で結びつくことがなかった。
2023年5月、屋久島を訪れた。目的は日本百名山である宮之浦岳の登頂である。島特有の湿潤な空気と苔むした森が織りなす深緑は、圧倒的な生命感に満ちていた。
最終日は白谷雲水峡に散策しに行った。6km周回コースの最後のゆるい下りが続く木段の道は整備が行き届き、苔とシダの香りが濃い緑のトンネルをつくっていた。ふと身体が勝手に反応した。登山靴で気持ちの赴くままに木段を駆け下りてみると、驚くほど滑らかに身体が動いた。全身が自然のリズムに同調し、胸いっぱいに島の湿気と木々の匂いが流れ込む。ロードでは感じたことのない感覚だった。この瞬間が、僕の中で「山を走る」ことが楽しいと思ったきっかけである。
帰京後、まず行ったのはトレイルランニングシューズの購入だった。選んだのはザ・ノース・フェイスのロングモデル向けトップモデルである「フライト・ベクティブ」。次の休みに伊豆の三筋山へ向かった。
三筋山は標高821メートル、山頂からは相模灘と天城連山を一望できる開放感の高い稜線が特徴だ。山頂直下の草原に出た瞬間、海からの風が吹き抜け、ススキが波のように揺れた。ロードシューズでは踏みしめられなかった柔らかな土と草の感触が、シューズ越しに心地よい反発で返ってくる。下りのシングルトラックでは、ソールが地面に吸い付くように安定し、恐怖より楽しさが勝った。「山を走るのはこんなに自由なのか」と感動し、無意識に笑みがこぼれた。
屋久島で感じた「もっと走れるはず」という直感は、三筋山で確信に変わった。
高尾と箱根で積んだ実戦――配分と補給、そして次なるロングへ
ここから山の頻度が一気に上がる。ぼくは、自分にはまだまだ山を走るための経験や技術が足りていないことを痛感していた。次なるステップとして、身近な関東圏にあるトレイルの名コースを中心に、トレーニングを積むことに決めた。
特に僕が頻繁に訪れたのは東京近郊の高尾山域だった。「高尾マンモス」「トラサルディ」など、トレイルランナーに人気の高い定番ルートを何度も繰り返し走った。初めて高尾の「トラサルディ」コースを走ったときは、トレイルの起伏やテクニカルな地形に苦戦し、最後は歩くのがやっとだった。しかし、回数を重ねるうちに登り坂の呼吸のコツや、下り坂での足さばきの技術が向上し、徐々に安定して走れるようになっていった。
また、高尾だけでなく箱根外輪山でもトレーニングを積んだ。芦ノ湖を取り巻く箱根外輪山を、芦ノ湖ごと集周するコースは眺望が美しいが、その代償として急峻な登りと下りが連続する過酷なトレイルだ。名前は可愛らしく”箱根ガイリーン”と名付けられているが、その距離は50km近くにおよび丸一日山の中を歩くことになる。
特に金時山までの急登は脚力だけでなく精神力も試されるコースだった。初めて挑戦した日は、序盤でペースを上げすぎたせいか、中盤以降はほぼウォーキングに近い状態だった。
コースの途中からは箱根スカイライン・芦ノ湖スカイラインという、雑誌記者時代に数え切れないほどクルマのテストで通った道の脇を歩む。「クルマで走るような道を、いまは自分で走っている」と思うと感慨深い。
芦ノ湖を3分の2回った先の遊覧船埠頭まで、食事のために休めるショップはふたつしかない。その間もエネルギーを切らさないために、補給食の取り方やペース配分の重要性を学んだのも、この箱根でのトレーニングだった。
気象への対応も重要だ。箱根港の手前、ヤギさんコーナーと呼ばれるレストハウスで、一緒に行ったメンバーが何やら騒がしい。少し空が暗くなってきた。雨雲レーダーを見ると、この先1時間ほどすると雨が振ってくるらしい。ベンチに集まって経験者たちが協議する。
「箱根港でエスケープ(中断)してバスに乗ろう」
果たして、港に着いた途端に大粒の雨が。こうした状況に応じた対応もトレイルランニングには欠かせないと知った。
山での経験を重ねるたび、自分に何が足りないのかが見えてきた。とりわけ補給戦略と装備の重要性を思い知った。想像以上に多くのエネルギーを消費するため、頻繁かつ適切な補給が不可欠だった。また、天候が急変したり、コース状況が予想以上に悪化したりするため、ウェアや防寒具、ヘッドライトや地図などの準備を念入りに行う習慣が身についた。
屋久島の山で「走る感覚」に触れたこと、それが原点だ。そして最初のトレイルランニング・シューズ、フライト・ベクティブで踏んだ三筋山の風と草の弾みは、僕にとっての“スタートライン”だった。ここから仲間に連れられていくつもの稜線を越え、各地のレースへつながっていく。2年で 100 マイルに届くまでの道程は、想像以上に単純で、想像以上に濃密だった。屋久島の木段で小走りになった一歩が、すべての始まりである。