2年で「100マイラー」への道 :#01 Challenge4──初のフルマラソンとサブ4の壁
田中誠司 2026.02.112025年4月、PF編集長は日本一のトレイルランニングイベントと呼ばれる「Mt.FUJI100」168kmレースを完走した。フルマラソン4回分の距離を、山坂を上り下りしながら丸一日以上かけて寝ずに駆け回るというこのレースには、日本中から2000人を超えるランナーが集まる。完走できる体力や走力を養うだけでなく、出走する資格を得るのも大変だから、通常は数年の準備期間を要するとされる。しかし、やるとなったら最短コースを選ぶのがこの人のスタイルだ。ゼロに近いランニング経験から2年で目標を達成する道のり。4ヶ月足らずでフルマラソン4時間切りに挑んだ。
ぼくが初めて挑んだフルマラソンは、2023年5月27日に開催された「Challenge4」というイベントだった。このイベントは、ランニング初級者がフルマラソン4時間切り(サブ4)を目指すというコンセプトで企画されたもので、ぼくにとっては最初の大きな挑戦だった。
ランニング自体、始めてまだ4ヶ月ほど。走る距離もようやく月間200キロに届くようになったところで、「サブ4」が現実的に達成可能かは正直疑問だった。だが、主催者側が提供するトレーニングメニューやオンラインサポートに後押しされ、まずはこのプログラム通りにこなしてみようと決意した。
100日プログラムと腸脛靭帯炎――揺れる膝でも積み上げた日々
練習は平日のインターバル走、閾値走、週末のロング走が基本だった。特に週末のロング走は25~30キロをこなす必要があり、体力的にも精神的にもかなりの負担だった。当時の僕はまだ膝や足首、腰などが十分に鍛えられておらず、次第に身体のあちこちに違和感や痛みが出始めた。中でも左膝に感じる鋭い痛みは、整形外科で「腸脛靭帯炎」と診断された。医師からは「無理をすると悪化するから距離を控えめに」と忠告されたが、サブ4という目標を達成するためには、トレーニングを極端に減らすわけにもいかなかった。できるだけ膝への負担を減らすため、フォームを微調整し、テーピングやアイシングでケアをしながら練習を続けた。
当日が近づくにつれて焦りも感じていたが、準備だけは入念に行った。ウェアやシューズ、補給食の選定、タイムテーブル作成。周回数がわからなくならないように、細かく切ったテープを31枚、腕に貼ってラップのたびに剥がすことにした。
30kmの壁と国立の周回路――止まらない時計、折れない心
大会当日、会場は国立競技場内外周に設定された1周1.4キロの周回コース。黄色いシャツのペースメーカーが、ちょうどサブ4のペースに3人、それより1km当たり10秒速いペースに3人、10秒遅いペースに3人入って引っ張ってくれる。この人たちに着いて走ればサブ4達成だ。
初速が速い集団に混じったぼくは、最初の10kmをほぼ予定通り55分で通過。予定より早いペースだ。中間点の21km地点を通過した時、タイムは1時間58分。左膝に徐々に違和感が出始めた。25キロで違和感は明確な痛みへと変わり、鎮痛剤を飲んだが、痛みはほとんど緩和されなかった。
30kmを目前に、膝の痛みが悪化するのと並行して、涼しい室内の外周路と暑い屋外のトラックを毎周行き来する負担が身体に現れ始めた。若干腹が痛く、それまで150程度だった心拍数も170を超えるほどに上がってきた。同じ調子で走っているはずのペーサーに着いて走るのが急に辛くなっていた。
速いペーサーだけでなく、サブ4ペースを守る第2集団にも抜かれた30km地点、タイムは2時間53分。サブ4達成をするには、1キロ5分半のペースが必要だ。つまりここからは巻き返さなければならない。
最後にピッチを上げていく最後のペーサーについて、なんとか巻き返したいと力んだのが災いしたのか、両足が痙り、歩くのも辛いほどになってしまった。残り10km、ペースは1km7分を超え、サブ4達成は不可能だった。脚だけでなく気力も落ち、最初、一緒に走っていたペーサーには周回遅れにされた。自分の限界を痛感した。
自分がおかしなフォームで走っているのはわかっていたが、とにかくゴールだけはしなくてはならない。タイムリミットを前に観衆の応援が高まるのを感じながら、足の痛みをおしてとにかく走り続けた。
完走タイムは4時間21分03秒。初めてのフルマラソンとしては悪くない結果だったかもしれないが、「サブ4」という目標には届かなかった。
ゴール後、完走メダルを首にかけられても心は晴れない。膝の痛みや疲労感以上に、目標達成できなかったことへの悔しさが大きかった。
それでもこの経験は、自分の弱さや限界と直面する機会を与えてくれ、これがさらに走ることへのめり込ませるきっかけとなった。
いま思うと不足していた要素はいくつもある。熱中症対策に持って行った塩タブレットは途中で足りなくなってしまった。足攣り対策で「2RUN」を持っては行ったが、これも数が足りず終盤の足攣りに対して手も足も出なかった。寒い外周路で腹部が冷えてしまい、気になったのもペースダウンの要因だ。
ゴール後の数日間は膝が痛み、まともに階段を下りられなかったが、それが治まると「次はどうやってサブ4を達成するか」を考えるようになっていた。Challenge4でのサブ4未達成は、僕にとってランナーとしての重要な原点となったのだ。