LONG-TERM TEST

12気筒フェラーリを(たまに)走らせる毎日 #02

今しかない、と思った 2006年式 購入:2021年7月 購入時走行距離 24,292km 現在走行距離 25,695km 燃費4.5km/ℓ

田中 誠司 フェラーリ612スカリエッティ 2022.07.11

フェラーリが自分の手元に来てまもなく1年が経過する。ここからは、購入前から時系列に沿って話を進めていく。

いまを遡ること2年前の時点で、私は二玄社の退職金を丸々投入して入手したタイプ997のポルシェ911カレラと、その後なけなしの資金で買った初代BMW Z4 3.0i、そしてたまたま友達が手放したのを譲り受けた2年落ちのジャガーXF 20dという3台を所有していて、911は息子に預け、Z4は実家の駐車場に眠らせていた。軽油を満タンにすれば1000km走れて、ハンドリングにも優れ、内外装の品質が高いジャガーとの毎日はなかなか魅力的だった。

3台ともキーパー・コーティングのWダイヤモンド・コースを施してキレイにして乗っていたのだが、ある日駐車していたジャガーに戻ると、ドライバーにとって一番確認しにくい助手席側のリアフェンダーに、ざっくりと長さ30cmにおよぶ擦り傷が刻まれていた。いつ誰にやられたか分からない。もちろん自分がつけた傷ではない。

別にちょっと修理に出せばいい話ではあったが、その当て逃げによってなんとなく縁起が悪い感じがして、気に入っていたジャガーへの愛着はプツリと途切れてしまった。巷では、コロナの拡大によって娯楽を失った富裕層の高級車・輸入車人気が拡大し、急に高年式車の下取り価格が高くなっていたことに加えて、この不安定な景気でクルマが何台も手元にあることが逆に不安にも感じられたのだ。

ジャガー売却にまつわる顛末は私が東洋経済オンラインに寄稿した記事があるので、ご興味があれば参照されたい。

フェンダーが傷ついたままのジャガーは買った値段より高く売れて、私はZ4とバイクだけの生活に戻った。Z4をあまり長く眠らせておきたくはなかったし、ひとり暮らしで普段はほとんど公共交通機関で済ませる私にとって、それで問題はなかったのだけれども、なんとなく物足りない気分ではあった。

しばらく自分の口座残高、収支状況を眺めつつ中古車情報を漁る日々が続いた。悶々とする気分が昂じて抑えられなくなった2020年9月のある夜(たいてい、こういうのは夜だ)、私は旧知の輸入車販売店・コレツィオーネの成瀬健吾社長にメッセージを送った。

「成瀬さん、猛烈にご無沙汰しております。お元気にお過ごしのことと存じます。久々にメッセージ差し上げましたのは、まだ現実化はしばらく先の話なのですが、欲しいクルマが出てきたためです。612スカリエッティ。いまのところ最後の『エレガントな』4シーター、V12フェラーリです。スタビリティコントロールがついていながら直噴エンジンではないところもよいなと思っています」

「車齢にして9年から15年というところと思いますが、これは維持費の面など、非常に大変だったりするものでしょうか。たとえば360や430あたりと比べてどの程度のレベルか、仮に御社経由で入手することとなれば、どこに整備に持っていくことになるかなど、ひとことご意見がうかがえれば幸いです。大変お忙しいであろうところ恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。また一杯やれるといいな、とも思います」

成瀬さんはその日のうちに返信をくれて、じゃあ早速、四谷の瀟洒なトラットリアで一杯やりましょうということになった。「田中さん、普段からフェラーリ一台きりで過ごそうというわけではないですよね」ということだけ確認されたが、要約すると、保管と定期的な整備に気を配って適切な運転をしていれば、それほど大きな、あるいは頻繁なトラブルに見舞われることはないでしょう、とのことだった。

とりあえずジャガーを売った残金以外に先立つものもないし、そもそも景気が悪いから1台手放す方針だったし、当時コレツィオーネに612スカリエッティの入庫があったわけでもないから、具体的な進捗はなく月日は流れた。

半年経った2021年3月、雑誌「ENGINE」が新しい連載企画を立ち上げ、私がライターを務めることが決まった。「フェラーリをデザインした唯一の日本人、ケン・オクヤマ一代記。」である。ケン・オクヤマこと奥山清行さんとは10年以上前、雑誌の企画でご一緒したことをきっかけにコラボレーション・サングラスを製作させてもらう機会があり、私は自動車メディアの業界から距離を置いていたあいだも常に彼の動向をウォッチし続けていた。そうした縁もあって、編集長は私を抜擢してくれたのだ。

奥山さんと作ったサングラス。鯖江で作ったチタン・フレームにTALEX社の高性能偏光レンズを組み合わせた逸品。

7月末発売号での連載スタートに向けて、奥山さんに対する取材は3月末から始まった。「まるでケン・オクヤマが乗り移ったように、面白い物語を書いてください」という編集長からの要望に応えるべく、原宿のKEN OKUYAMA DESIGNを何度も訪ね、山形のファクトリーにも出かけた。

フェラーリ612スカリエッティは、エンツォ・フェラーリ、マセラティ・クアトロポルテに続く奥山さんの代表作である。取材を重ねていくうちに、フェラーリを、612スカリエッティを手に入れることでもっと自分の視野を広げ、面白い記事が書けるのではないか、デザイナー本人から話を聞けるこのタイミングで、そのクルマに乗るというのは二度とない体験なのではないか、という思いはどんどん強まっていった。

40歳代も半ばを過ぎて、自分の体力や能力、経済力がいつまでも伸び続けるわけではないことを自覚してもいた。そして、「いまクルマを買うとしたら」という妄想から、612スカリエッティ以外のものがどんどん脱落していったのである。

PICKUP