N響の新・首席指揮者ファビオ・ルイージに聞く マエストロの愉しみ #04
―美、旅、お気に入りの逸品たち—
大矢 アキオ 2022.10.18忙しい合間を縫って楽しむドライブ
第四楽章:世界雄飛の一歩はミニ・クーパーと
2022年9月、NHK交響楽団の首席指揮者に就任したファビオ・ルイージ氏との対談。前回は、お気に入りのアイテムにまつわる話をお届けした。ところで、世界を駆けるマエストロと自動車の関係は? 恐るおそる尋ねてみると…
大矢アキオ(以下AO): 世界各地を飛び回っておられるので、自動車のステアリングをご自身で握る時間は限られると思いますが。
ファビオ・ルイージ(以下FL): 私は運転が大好きです。住まいがあるチューリッヒから近隣国はもちろん、イタリアまでも頻繁にクルマを利用します。
AO: 故郷のイタリア・ジェノヴァには、1年に何度くらい訪問されますか?
FL: イタリア自体は5〜6回は訪れますが、ジェノヴァに戻れる機会は極めて少ないのが実情です。
AO: ご多忙をお察しします。ところでマエストロにとってドライブとは?
FL: 運転しているとリラックスできます。演奏会のあとも、たびたび4〜5時間運転します。そうして家路を辿ると、安堵感に包まれるのです。
AO: 大作を指揮された後、お疲れでしょう?
FL: 直後というのは意外に疲れていないものです。実際、ミラノ(ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団)で指揮をしていたときは、演奏会直後にステアリングを握り、3時間半から4時間かけてチューリッヒの家まで戻っていました。
マエストロの愛車遍歴を辿ってみたら…
AO: 現在は何のクルマにお乗りですか?
FL: 2年前手に入れたBMWグランクーペです。快適、かつ高速なので極めて満足しています。
AO: 運転中は音楽をお聴きですか?
FL: 頻繁に聴きます。クラシックを聴くことは稀です。ジャズなど、ほかのジャンルです。
AO: ご幼少の頃からクルマはお好きでしたか?
FL: 好きでした。父はフィアット850を持っていましたが、私自身の憧れはシトロエンDS 21でした。
AO: いっぽう、実際にマエストロが免許を取得して最初のクルマは何でしたか?
FL: 1978年に19歳で免許を取得して、最初の自動車は中古のミニ・クーパーでした。
AO: イタリアで製造されたイノチェンティ版ですか、それとも英国製ですか?
FL: 本国製です。とても魅力的なクルマでした。
AO: なぜミニ・クーパーを?
FL: もらったのです。親友が新しいクルマを買った際、売りに出す代わりに「もしお前が要るなら、あげるよ」と言ってくれたのです。その時点でかなり古いものでした。ただし私も若く、財布の余裕がなかったので、すぐに譲ってもらうことにしました。友達を乗せて小旅行に出かけたり、楽しいクルマでした。
AO: まさに青春の一章ですね。
FL: オーストリアのグラーツ音楽院に入学するときも、ミニ・クーパーを自分で運転して行きました。その旅程は、まるで冒険でした。
AO: グラーツまで! 今日の自動車でもイタリア北部を横断・北上して9時間はかかります。それも古いミニ・クーパーで?
FL: 案の定、古さは隠せませんでした。ある地点で速度が出せなくなってしまいました。
私は自動車のメカニズムに詳しくありませんので、ついぞ原因はわかりませんでした。
AO: それで、どうなさったのですか?
FL: 恐らく、クルマが疲れてしまったのでしょう(笑)。2時間後、ふたたびクーパーは何事もなかったように元気を取り戻し、グラーツまで私を運んでくれました。室内にはラジオさえありませんでしたが。
AO: ラジオ付きになったのは(笑)?
FL: その後手に入れたマツダ323(筆者注:日本名ファミリア)からです。そのあと626(日本名:カペラ)にも乗りました。マツダはまだ欧州市場で若いブランドで、いずれも良い車でした。
AO: 1980年代、欧州でマツダは、まずドイツやオーストリアで知名度を拡大しました。
FL: そうですね。価格も納得できるものでした。なにしろ私は働き始めたばかりでしたから。その後BMWに出会って3シリーズなどを乗り継ぎました。それでも振り返ると、やはり最初に乗ったミニ・クーパーは、思い出深いですね。
1950年代末、小澤征爾氏は、日本から船積みした富士重工製ラビット・スクーターで約束の地フランスに乗りつけた。ルイージ氏によるミニ・クーパーの逸話も、世界的指揮者の若き日の姿を、活き活きと甦らせてくれた。
そしてもうひとつ。彼が少年時代に魅せられたシトロエンDS21は、知性溢れ、かつアンティークに造詣が深いルイージ氏に極めてお似合いである。いつか、そのステアリングを握る姿を見たいと思うのは、筆者だけではないはずだ。
トップ画像 ⒸJonas Moser