STORY

燃え尽きたはずの「イージー・ライダー」チョッパーの真実:Start from Scratch #14

高梨廣孝 2023.10.15

制作する対象をめぐって

スクラッチ・モデルで再現する対象を決める理由には、決まり事はないのが事実だ。年代、原産国別、メーカーなどをテーマにしてもいない。「興味が惹かれた」が最大の理由になるだろうか。デザインやメカニズムなどから個性があるものから興味を持ち、やがて制作意欲となっていく。

今回のEasy Rider Chopperは、デザインやメカニズムからではなく、その背景にある事柄に喚起された。好きな映画だということもあるが、私にとっては珍しい経緯からの制作だった。

なぜ出品されたのが、ホンモノではなくレプリカなのか

本連載第9回目で、1998年にN.Yはグッゲンハイムミュージアムで開催された『THE ART OF THE MOTORCYCLE』について記した。その中で、多くは触れなかったが「Popular Culture」と若者文化に欠かせないアイテムとしてのモーターサイクル、代表的なモデルとしてEasy Rider Chopperの写真をさり気なく掲載した。実は、このモーターサイクルをスクラッチ・モデルにしたものが、私の作品群の中にある。

機能性とは言い難いデザインが、ライダーの自己主張から生み出されたと感じられるEasy Rider Chopper。普段はスクラッチ・モデルへの制作意欲は湧かないものだった。

しかし、この展覧会の分厚いカタログをめくっていて、Easy Rider Chopperに触れたページが多いのに気がついた。しかも、出品されたものがホンモノではなく、レプリカと表記されているではないか。こんな権威ある美術館が主宰する展覧会に、何故ホンモノが出品できなかったのか大いに気になった。解説文を読んでみて、その疑問が氷解した。

『THE ART OF THE MOTORCYCLE』図録より。「Popular Culture」と若者文化に欠かせないアイテムとしてのモーターサイクルが記載され、Chopperはシンボライズされていた。

スクラッチ・モデル作品を紹介する前に、Easy Rider Chopperにあった背景から感化された事柄を綴りたい。

映画「Easy Rider」が生まれた経緯

ヘンリー・フォンダを父に持ち、ジェーン・フォンダを姉に持ったピーター・フォンダは、俳優として活躍はしていたが、さしたるヒット作は無かった。子供の頃からモーターサイクルが好きだったピーター・フォンダは、モーターサイクル乗りとしては相当の腕前を身に着け、デニス・ホッパーらとツーリングを楽しんでいた。この二人が意気投合して、ニューシネマの映画製作を思い立ったのが映画『Easy Rider』である。

往年の読者の方であれば、この映画のストーリーをご存知かと思う。とは言え、割愛をしてしまうことなく、大筋で紹介しよう。

マリファナの密売で大金を得て、そのお金をモーターサイクルのタンクに隠して、自由なアメリカを求めて放浪の旅に出る二人のヒッピーを描いたストーリーである。自由と平和を求めて、アメリカ縦断の旅に出るが、南部で偏見や憎しみなどの恐怖に遭遇し、最後は農夫に狙撃されて野原に散ってしまう。カンヌ映画祭で監督賞を受賞し、ニューシネマの代表作として世界的なヒット作となる。

この映画が制作された1960年代のアメリカは、ケネディ大統領やキング牧師の暗殺、ベトナム戦争の泥沼化など、不条理で行き詰まった空気が若者たちに暗い影を投げかけていた。この暗い時代の中から立ち上がるようにして、ボブ・ディランなどのメッセージソング、ピーター・フォンダのニューシネマなどの若者文化が生まれたとは皮肉な話である。

映画の制作に当たって資金が乏しかったピーター・フォンダは、映画の中に登場するChopperを制作するのに、新車を購入する資金が無かった。そこで思いついたのが、中古モーターサイクルを購入して、カスタムビルダーに依頼してChopperへと改造することであった。ベースとなるモーターサイクルは、ハーレー・ダヴィッドソンと決め、中古探しを開始する。幸いにも、ロスアンゼルス警察がパトロールに使っていたモーターサイクルをニューモデルに交代するために古いモーターサイクルをオークションに出すという情報を得る。オークションに参加したピーター・フォンダは、2台の状態の良いパンヘッド・タイプのハーレー・ダビッドソンを落札し、自らChopperのデザインスケッチを描き始める。

制作された2台のChopperは、1台は映画制作のために、もう1台は予備として倉庫に保管した。映画制作が順調に進んでいたある日、倉庫に予備として保管していたモーターサイクルが忽然と消え、盗難に遭ったことが判明する。幸いにも、撮影は順調に進行して映画は完成する。しかし、映画の最後の場面でピーター・フォンダ扮する主人公キャプテンアメリカは、南部で農夫に狙撃されてモーターサイクルもろとも燃えながら野原に散ってしまう。これで、制作された2台のモーターサイクルは、我々の目の前から消えてしまったのである。

グッゲンハイム美術館の展覧会(1998年6月26日~9月20日)時には、ホンモノは存在しなかったのである。映画がヒットして、それにあやかってたくさんのレプリカがつくられ、我々が目にしていたのはすべてレプリカであったことが判明した。展覧会に出品するChopperは、レプリカ(1993年制作)しか無かったのである。

Easy Rider Chopper、その後の展開

今世紀に入って、驚くべきニュースがモーターサイクル誌に掲載された。映画の最終場面で燃えながら散ったモーターサイクルの残骸を拾い集めて、レストアしたというモーターサイクルがロスアンゼルスで競売にかけられ、日本人が落札したというのである。この記事を読んで、是非とも取材してスクラッチモデルを制作してみたくなった。

無謀にも、落札したオーナーを探し出して取材を申し込んだところ、見事に断られてしまった。諦めきれないでいる時、所属するAAF(Automobile Art Federation)のメンバーにこの話をしたところ、「オーナーの岡本博氏は、実はかつてモーターサイクル好きのイラストレーターとして我々と一緒に活動していたので、取材の申し込みをしてやろう」と願ってもない話が出てきた。結果は、即取材の許可を得て、2016年3月13日に実現した。

岡本博氏は、アメリカン・カジュアルブランド「TOYS McCOY」を主宰していた。オフィスを訪れると、レザーのライダースジャケットと相まって『THE ART OF THE MOTORCYCLE』にあったChopperの世界観が、そこにはあった。

撮影当時のオーナー岡本博氏のガレージに収まっていたChopper。クロームメッキの輝きに、さらなる制作意欲が湧いた。

これまでChopperのモデル制作をしなかった理由

『THE ART OF THE MOTORCYCLE』に掲載されていたモデルをスクラッチ・モデルに再現する。クロームメッキの輝きは、取材した実車にある光沢を目指した。

冒頭に記したように、機能性を追求していないデザインへは制作意欲は湧かない。このChopperは、運動性能を追求したモーターサイクルではなく、自己顕示欲を意識して個人的に製作されたモーターサイクルであり、自分が関与すべきカテゴリ―のモーターサイクルではないと見なしていた。大きなホイールベース、45度と極端に傾斜したフロントフォークは、小回りが利かないし危険でもある。プロの設計家は絶対に採用しないスペックなので、この分野のモーターサイクルは対象に考えていなかった。しかし、Easy Rider Chopperは、あの映画の中ではモーターサイクルと言うよりは立派な俳優であり、アメリカの若者文化をカタチにするとこうなるという強い説得力を持っていた。今までの自分の拘りを捨ててでも、作ってみたいという衝動に駆られた。

実車とともに。当時のオーナー岡本氏のご厚意から、この貴重なChopperのハンドルを握って一枚。

次回は、パンヘッドのハーレーダビッドソンのエンジン、クロームメッキでビカビカに飾られたAmerican Chopperの制作について記していきたい。

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