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Start from Scratch #10

ドイツ市場をマーケットに開発されたチェコスロバキアのモーターサイクルBöhmerland 598

高梨 廣孝 2023.05.08

天然素材のサイドカーを作ってみたかった

モーターサイクルをモチーフに、スクラッチ・モデルの制作を始めた時、いつかサイドカーも作ってみたいと思っていた。また、金属やプラスチックなどの無機質な素材ばかりでなく、玉、銘木、などの天然素材を使ったモデルも制作したいと思っていた。それは、世界に誇る日本の伝統工芸「根付」に対する憧れが根底にあったからである。

サイドカー、メカニズム…ユニークすぎるBöhmerland 598

前回で紹介した『THE ART OF THE MOTORCYCLE展』のカタログを子細に眺めていると、この二つの願望を満たしてくれるモーターサイクルBöhmerland(べーマーランド) 598が載っているではないか。しかし、こんな昔のへんてこなモーターサイクルの実車はどこに行ったら見られるのか見当もつかなかった。そこで、まず手始めに資料集めに取り掛かった。

Böhmerlandは、今から100年前に創業し、当時はチェコスロバキアであった北ボヘミアの街クラスナ・リパを生産拠点にしていたモーターサイクルメーカーだ。ほとんどのモデル設計は、奇才アルビン・リービッシュ(Albin Liebisch)によるもの。存在していたのは1924年から1939年までで、この15年間に生産された台数は1000台ほどだった。一説では、受注生産方式であったと言われているので、生産規模が少ないのは納得できる。

Böhmerland社屋を背景に、ずらりと並んだスタッフとモデル。一番右に“598”が見える。
ドイツ向けの広告。奇才アルビン・リービッシュの肖像に工場の全貌、そして“598”を掲載している。

ドイツを主要マーケットとしたこのモーターサイクルは、ドイツ語でBöhmerlandと名付けられたが、本国ではCechie(チェヒエ)と呼ばれていた。Böhmerlandはボヘミアの地を意味しており、Cechieは「チェコ」を意味しているのだが、「ボヘミア地方」とする文献もあるようだ。つけられた名前はこのモーターサイクルが生まれた土地をブランドとして採用している。

598の実車。このサイドカーには、造形はもちろん、木製というのに惹かれた。

Böhmerland598を見てみよう。エンジンは598ccの空冷タイプで、オーバーヘッドバルブ、単気筒、ロングストローク、ヘミスフェリカル燃焼室(半球状燃焼室)を有しており、3,000rpmで16馬力を発生した。エンジンは当時としては平凡なものであり、フレームや外観デザイン程ユニークなものではなかった。

フレームは上下二重構造のパイプフレームを持つユニークなもので、前後に長いサドルには2人乗車が可能であり、オプションとして後輪の上に三つ目のサドルをつけると、タンデムで3人乗りも可能である。そして、ホイールベースを長くした4人乗りのトウーレン、9人乗りのランドトウーレンも制作されていた。ランドトウーレンのホイールベースは、驚くことに何と5.775メートルもあり、チョッパーが出現するまでは最長のホイールベースを持つモーターサイクルと言われていた。

ホイールは当時としては極めて斬新な、アルミで鋳造されたディスクホイールがつけられている。小回りの利かない大きなホイールベース、リーディング・リンク・フォークと言われるフロントのサスペンション構造、モデルの中には二つのギアボックスを備えた車種があり、急峻な坂を上る時はパッセンジャーがギアレシオの異なるもう一つのギアボックスを操作するなどからして、このモーターサイクルはスピードや運動性能を追求するよりはトランスポーテーションを目的に開発されたモーターサイクルと思われる。

定員4人のトウーレン。ホイールベースの長さがよくわかる。それにしても、ブランケットをしたライダーの姿が微笑ましい。

まるでポスト・モダニズムのカラーリングに目を奪われる

このモーターサイクルの最も魅力的なところは、斬新なデザインである。カタログの中からこのモーターサイクルを発見した時、100年も前のモーターサイクルとは思われない新鮮さを感じた。その独創的なデザインや3人以上の搭乗者の実現、そしてユニークなメカニズムもあるが、カラーリングは目を奪われるものだ。モーターサイクルの色は黒などの単色が常識であった時代に、黄色と赤、黄色と黒、黄色とグリーンなど派手なツートンカラーを採用した着想は、アルビン・リービッシュのこのモデルに懸ける大きな意気込みを感じさせる。

1920年代のモダニズム時代に、ポスト・モダニズムデザインを先取りしたような色使いは、オリベッティのタイプライターを代表作にするエットレ・ソットサスを中心に結成されたイタリアのデザイン集団「メンフィス」のデザインスタディを彷彿させる。

金属の無機質さを打ち消すように、原色の色使いが魅力的なカラーリング。

成熟した文化を持ち、そして技術立国であったチェコスロバキア

こんな斬新なモーターサイクルが生まれてきたチェコスロバキアとは、どんな国であったのだろうか。当時のチェコスロバキアは技術立国であり、フェルディナンド・ポルシェと並んで自動車設計家として高い評価を受けていたハンス・レドヴィンカが設計するタトラは、世界で最も進んだ自動車メーカーのひとつとして脚光を浴びていた。ポルシェとレドヴィンカは同年配のオーストリア人で面識もあり、お互いに技術交換も行っていたと言われている。

一方アートの分野では、パリで活躍していた画家のアルフォンス・ミュシャ、アメリカや日本で活躍した建築家アントニン・レーモンド、交響曲第9番『新世界より』の作曲家アントニン・ドヴォルザークなどを輩出しており、チェコスロバキアは、技術・文化の面で、ヨーロッパの中心的な地域であった。しかし、中央ヨーロッパに位置し、東西の大国に挟まれるという地理的な事情により、現在のウクライナの状況と重なるところがあり、東西からの圧力を受けて第一次世界大戦後は不幸な道を歩むことになる。1993年に、チェコとスロバキアは平和的に分離し、現在はそれぞれの国として成り立っている。

次回は、サイドカー、それも天然木材を使ったBöhmerland598のスクラッチモデルについてを記していきたい。

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