STORY

ちょっと変だけど、毎日がちょっと豊かになる ― YUの「愛車のある暮らし」#01

ライダーYUの誕生

YU 2022.09.12

とあるツーリング・イベントに参加した折、「カッコいいライダーがいるものだなあ」と感心させられた。全体を茶系でまとめた上に薄いグリーンの、いったいどこで調達してきたのだろう? と気になる素敵な風合いのレザージャケットを組み合わせていた。あとで知人づてに話を聞いたら、さまざまなモノ・乗り物に興味を持ち、独自の発信で注目を集めている人だと知った。そんな彼女は生活を彩るモノたちを、どんな基準で選んでいるのだろう? 「ぜひ気楽に紹介してみてください」とお願いした。

愛車(アイシャ)ってなに?

こんな私が、PARCFERMEで連載を持たせてもらえることになった。クルマに詳しいわけでも、文章がうまいわけでもない。身に余るお話でいささか不安ではあるものの、「自由に書いてください」と優しいお言葉に甘えてみることにした。
私の好きなコトやモノについて書く。車、バイク、音楽、カメラ、ファッション、ガレージハウス暮らし……etc.
なんの忖度もない正直な気持ちを綴れるのはこのメディアくらいかもしれない。

photo: YU

私もよく使う“愛車”。便利な言葉だけどよくその意味を考えたことはなかった。

たぶん定義はないが、「単なる移動手段ではないエモーショナルな所有車のこと」私はぼんやりとそう認識している。最新の車でもいいけど、ちょっと草臥れている方がいいかな。いくら壊れようが、古びてポンコツになろうが、何度も治して乗る。付き合いが長くなってくるとニックネームで呼んだりもする。でもそうなってくると、もう、完全に手放せなくなる……そんな憎めない可愛いやつが“アイシャ”なのだ。

私の“アイシャ”がこちら

自己紹介が遅れました、はじめまして、YU(ゆう)と申します。“YouTube/愛車のある暮らし”を中心に活動。

現在、この愉快な仲間達と、茹だる日も厳しい冬も共に暮らしている。
・1975年式 シトロエン AMI8 (通称アミちゃん)
・2001年式 アルファ・ロメオ 916スパイダー (通称スパ坊)
・1983年式 ヤマハSR500 (通称 エサール)

最近、ふと思うことがある。「どうしてうちにはこんなに変な乗り物ばかりあるのだろう」と。「もうちょっとマシな選択肢はなかったのだろうか」と。

自分でもよく分からないので、PF代表の田中さんに記事を送るついでに自分自身の気持ちに少しずつ気付いていけたらいいなと思う。

photo: YU ガレージハウスに憩うYUのアイシャたち。それらの匂いに囲まれてハンモックでひと休みすることも。リビングルームには真空管アンプのオーディオが置かれている。

スポーツに没頭した12年間

まずは生い立ちから。90年代のバブル経済崩壊と共に YUは誕生した。

神奈川県なのに誰も聞いたことないような田舎で生まれ育つ。父は陶芸家、母はパート、そして四つ離れた妹。一家の大黒柱は母なんじゃないかと思うくらい不安定な生活だったが、みんなで何とか生きていた。とっても貧乏だったので車は堅実な大衆車が選ばれた。田舎は当たり前に車社会だが、当時の私はそこに趣味としての魅力があるものだとは思わなかった。

陽気な妹と違い、私は内向的な性格で学校では目立たないように静かに過ごしていた。私は当時流行っていた“一輪車”で家の前の大きな坂道を登り、隣町の方まで行き、辺りがまっ暗になるまで一人で外で遊ぶのが日課だった。(ちなみに登り坂はいいが、下り坂はスピードがつき過ぎてとても怖い)

勉強はあまりできなかったけど、体を動かすのは誰よりも好きだった。そんなこんなで、とあるスポーツをやってみないか? というオファーがあった。とにかく運動と努力することしか能がない私は、学生時代はそのスポーツに明け暮れた。時には全国大会や国体選手としても奮闘した時期もあった。よく名前が新聞に載って、親がひっそりとハサミで切り抜いて集めていたのを知っている。

それでも自分には「できない、自信がない」という気持ちに押しつぶされる日々だった。じきに成績が伸び悩み、現実を見る時がやってきた。「引退」という文字が頭をよぎる。どうしよう。選手を辞めても、そのまま講師やアスリートの業界で働くこともできる……。

だがその時の私は「こんなに頑張ったんだから、ここでお終いにしよう」と思った。12年間同じことを続けたのに、辞める時は自分でも驚くほど潔かった。

photo: YU SR500に後付けしたSMITHSの機械式スピードメーター&タコメーター(スパイ針付き)。動かすために変換ギアを噛ましたのがポイント。。

卒業旅行の代わりに

大学4年の卒業シーズン、同じ学部のみんなは海外旅行の計画で盛り上がってい た。私は競技も終わって時間があったが、自分には関係ないという気持ちで上の空で過ごしていた。何やらヨーロッパ旅行は3~40万円の旅費がかかるらしい。

私はそこで気がついた。「そうだ!私は自由に国内を走り回れるバイクが欲しい!」周りに流されない決断でちょっとカッコいいと思ったが、よくよく考えてみたらあのコスパ重視の父と同じような発想になっていて心恥ずかしく思う。
でもなぜバイクだったのか。

その父が造る芸術作品と、バイクの造形美に通じるモノを感じたのかもしれない。あのメカニカルでかっこいい雰囲気に惹かれたのかもしれない。運動の疾走感をバイクでも感じてみたかったのかもしれない。箱根や富士山に向かって走るライダーを幼い頃から頻繁に見ていたから、潜在的に憧れの気持ちがあったのかもしれない。

いろんな理由が入り混じり、私はバイクに引き寄せられた。中免試験は、持ち前の運動神経で最速合格した。体幹や内転筋をよく鍛えていたので、コツを掴むのが早かった。それからというものスポーツの情熱をそのまま注ぐかのように、バイクに没頭した。毎月、軽く1000キロは走った。なぜだか自分で自分を追い込んでいた。それはアスリートの性なので仕方ない。

結局、バイクに35万円使ってしまったので卒業旅行(国内)するほど資金はなかった。ひたすら日帰りで県外の峠までいき、大好きなうどんやお気に入りの景色を探し回った。

いつも自分に自信がなく、どこかうだつの上がらない人生に、バイクに乗ることで一縷の希望を手にした。海外旅行をするよりも世界がグググっと遥か広がったような気がした。私の人生は、ひょんなところから大きく変わり始めた。

photo: YU

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