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草むらのトラサンと356:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#016

伊東和彦/Mobi-curators Labo. トライアンフTR-3 2024.06.19

トライアンフTR-3を見つけた日

輸入車販売会社から雑誌記者に身を転じ、ヒストリックカー専門誌の編集長に就任、自動車史研究の第一人者であり続ける著者が、“引き出し“の奥に秘蔵してきた「クルマ好き人生」の有り様を、PF読者に明かしてくれる連載。

この連載は回顧録のようなものだが、これを書いていると、あたりまえだが半世紀以上の時の流れを感じないわけにはいかない。

まずひとつの事象は、1970年代までは、現代ではクラシックカーの範疇に入るクルマが、神奈川県の郊外の“そこいら”に顧みられることなく(?)放置されていたことだ。

米軍厚木基地がある神奈川県中部の解体業者には、おそらく米兵によって持ち込まれた末、用済みになったと思われるテールフィン時代の米国車のほか、たまに欧州製のスポーツカーの姿もあった。

高校生の時に“解体業者巡り”の面白さに目覚め、友人と原付バイクで巡ったことがあった。私たちが見たのは解体を待つ車両だが、私より少し年上の先輩方は、まだこれらが路上で活躍していた時代にカメラを持って歩き回り、“カーウォッチング”をされていたのだろう。かなりの高級モデルもあり、国語の授業(?)で習った「強者どもの夢のあと……」が目の前にあった。

その時、私は高校の物理の先生から1000円で譲ってもらった「スズキ・セルペット」に乗ったばかりで、行動範囲は一気に広まっていた。
 
大学に進んでから、そうした放置車や解体業者に置かれたクルマの情報を知っていたひとりが、今でも仲良くしているN君だ。彼は、現在でもなにかと私のモータリングライフの手助けをしてくれている大学時代の同級生で、なんの授業だったか忘れたが、大きな階段教室で偶然に隣席に座ったことから知り合いになった。

彼は学生時代から、私の心を刺激するクルマをみつけてきては、冗談半分だろうが入手を勧めてくれたり、彼が入手したうえで試乗させてくれたりしていた。草臥れた「ホンダS600」や「トヨタ・スポーツ800」が多かったが、「プリンス・スカイラインGT54A」や「ルノー・ゴルディーニ」(!)にも乗せてくれた。
 
私たちが社会人になって間もなくのこと、1979年だったと思うが、N君は神奈川県内でポルシェ356の解体車(残骸というべき状態だった)を入手していた。それはまさに“クサヒロ”であった。
 
半世紀も前であり、現在になっては時効だろうから発見の顛末を記しておくと、あるとき、背が高く生い茂った草むらの中に丸いルーフのクルマがずっと置かれていることを発見したらしい。VWビートル好きの彼には、それは間違いなく356であろうと判断したという。現場の草むらは私有地だろうが、塀もなかったことから意を決して草を掻き分けて入ってみると、まさしくそれは、かなり初期の356の塗装を落としたボディそのものだった。

空き地に置かれていたトライアンフTR3を友人と引き取ってみた。友人の足クルマと並べてみた。

後日、私も誘われて見に行ってみたが、未塗装同然で長く置かれていたのは明らかで、錆の進行もかなり進み、ルーフにも穴がいくつか開いていて、これは「ドイツ原産の屑鉄だろう」と唸った。

 

素人目には欠品の少ない優良なレストアベースと思えた。長く野晒しになっていたので、ステアリング・リムがボロボロだ。

彼は、同じようなスクラップ状態の「ポルシェ356」(そんなものがあった時代なのだ)を持っていたことから、これも入手しようと考え、手を尽くして所有者を探し出し、めでたく入手することに成功した。彼の心中を察すれば、部品をはぎ取られてしまった356が哀れで、そのまま土に返すことができなかったのだろう。それは部品取りにもならない代物であったのだが……。
 

エンジンルームを覗いてみたら、直ぐに動けそうに思えたのだ。
英国製スポーツカーならワイヤホイールに限ると信じていた私たちは、4本とも綺麗なことが嬉しかった。

彼が356を入手したころ、今度はずっと草むらに放置されたままの「トライアンフTR-3」を発見したと電話してきた。所有者とは話がついているので、伊東も買わないかと言ってきた。これは356と違って修理可能だかろうから折半でどうかとの提案であり、お互いに英国製オープンスポーツカーを持つことが夢でもあったから、共同所有することになった。

トラックを借りだし、苦労して彼の家の駐車場に運んで詳細に見ると、床はほぼすべて抜け落ちており、梯子型のセパレートフレームによって、なんとかボディの形が保たれているというコンディションだった。だが、私たちは代わる代わるシートを試し、これでのドライブを妄想した。
 
それは、おそらく米兵か軍属によって持ち込まれた左ハンドル仕様で、ボディの腐りを除けば、素人目には欠品は少なそうに見えた。
 
私たちは動かすことを目標にしていたが、現在のようにインターネットがあるわけではなく、Faxでさえ自宅に備えることは希有であり、連絡は手紙に頼ることになる。下調べにと、東京の洋書店で英国の専門誌を買い、知人からカタログを借りて、レストア(当時はそんな言葉は日本の専門誌でも見かけることは希有だった)の可能性を探ることにした。
 

参考用にカタログを借りだした。こうなるはずだった。

だが、熟慮のうえで計画を断念し、これを蘇らせる技術と資力を持つ方に惜譲した(セキジョウとはムカシのクルマ専門誌の常套句だ)。悩んでいる時期にN君も私も、もう少し“マシな”ターゲットを見つけたことも譲る気になった理由であった。現在なら、あの状態からもレストアは充分に可能だと思う。
 
あのトライアンフは今ごろどこにあるのだろうか?

このカタログが気に入って同じものを入手したが、クルマは去っていった。

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