ニコンFシリーズとF1トップ・フォトグラファーの対話 #02
「F3」でカメラとの対話に目覚める
PF編集部 ニコン 2022.06.17F1を撮ることだけを考える生活
世界を股にかけるF1トップフォトグラファー。川の流れのようにプロになり、滝壺に飛び込むようにF1の世界を追った。むろんその頃はF1マシンもカメラもアナログだ。第2回はフィルムの現像の話からスタートする。
PF:ヨーロッパでは現像はどうしていたのですか。
金子:フィルムを現地で現像して、セレクトしたものを郵便で日本に送っていました。オートテクニックという本に使って頂いていました。
PF:雑誌編集部の先輩は生フィルムを日本にそのまま送っていたと聞いていましたが、そうではないのですね。
金子:フリーランスのカメラマンとして生フィルムは見せられません。生フィルムを渡して「そちらで選んで、使って」はできない。下手なのがバレてしまうでしょう。たくさん撮ってNGばかり。選りすぐって良いものだけを相手に見せれば「こいつ結構いけるな」と思ってくれます。
現像所を探すのは大変でした。ずっとコダックのフィルムを使っていましたが、ヨーロッパだとコダックの現像所は1つの国に1箇所ずつしかないんです。今だったらナビに住所を入れれば出てきますが、当時はそんなの無いから。日曜日にレースが終わり、月曜日の朝までにそこに行ってフィルムを預けると、月曜日の夕方にできます。
PF:レースが終わったら、とにかく移動みたいな感じですか。
金子:そうです。苦しかったし危なかったですね。もうくたくたに疲れてから、夜通し800km走ることもあるわけです。例えばサンマリノGP。一番近いコダックの現像所はミラノです。ミラノに行くことは簡単だけど、でもミラノだと次のサーキットまで遠回りになってしまうから、無理してサンマリノからスイスのローザンヌまで行って、ローザンヌから次に行く。ミラノからローザンヌって、アルプスを越えて行くんだぜ。
PF:そうですよね。僕も車で通ったことがありますが、今の車でも大変です。
金子:それが40万円の中古キャンパーですから。フォルクスワーゲンの空冷エンジンでした。11年間、よく事故を起こさなかったなと思います。4台乗り換えましたけど、ずっとワーゲンです。一台は日本に持って帰ってきたこともあります。
ビートルみたいに丸っこい感じのが最初で、最後はウエストファリアというマンションみたいなキャンパーです。他に考えることややることがないから、全てを排除してF1の写真を撮ることだけを考えた選択です。
PF:F1の何にそんなに引き付けられたんですか。
金子:世界で一番だから。一番偉大で一番レベルの高いレースだと思ったからです。本当はそうでもなかったけどね。昔からペイドライバーはいたし、逆に本当は速いのにF1に乗れない人もいっぱいいました。でも一番レベルの高いレースだったから、撮りたかったんです。速いし、凄く強い。
もっと速いものを撮りたいとか、もっと凄いもの撮りたいとか、そういう単純な少年の夢のようなものでした。こればっかりはしょうがない。だから基本的には自分で考えて、自分でお金を作ってやっていたんですよ。人に助けられた面も多分にありますが。
ニコンFはクルマで言えばF1マシン
PF:使用機材の変遷をお聞かせください。
金子:写真学校の学生の時まで振り返ると、最初はニコン Fです。入学と同時に教材として買わされました。何とか使っていましたが、難しかったですね。例えて言うなら、同じクルマでもF1と乗用車の違い。どちらも同じようなハンドルが付いていて、運転方法そのものは変わりませんが、F1にはなかなか乗れない。操作もできない。ニコン Fには全然歯が立ちませんでした。
なんて言ったらいいんだろう。カメラの方が上手だった。僕には踏み込んで行けない、付き合いきれない、そういう難しさがありました。「お前ごときが俺を使うな」とカメラに言われている気分です。プロになってしばらくは、少し簡単なニコマートやニコン FEを使っていたくらいです。
そうこうしている内にニコン F3が出て、やっとカメラと対話ができるようになりました。これならサシで勝負が出来る、カメラと僕と話し合って、こうだよね、こうじゃないよねという対話ができるようになりました。ニコン F3はすごく使いましたよ。良いカメラでした。
PF:ニコマートとFE、F、F2、F3。それぞれの特徴を伺うことは可能ですか?
金子:シャッターの構造が違います。F、F2はバネと機械です、全部。それが電気コントロールになってだいぶ変わったと思います。F3は電子シャッターになったから、すごくシビアな反応をしてくれるようになりました。
やっぱりニコマートやFEはシビアなところがない、アマチュア用でした。F3でできたような対話ができた記憶はあまりないです。普通のお付き合い。表現が難しいけど、でも明らかにF1カーと普通の車両の違いがあるわけで。
きっと僕がカメラマンとして歳をとっていく上で、どんどん進化していくと同時に何らかのシビアさを求めていってしまったのでしょう。だから究極のシビアさには最初のニコマートは答えてくれない。会話が成立しませんでした。ただ押せば写る。
少し下品な話だけど、F3を使っている時は、自分に酔っていた。「うっしっし」みたいなのはあったと思います。プロ用のカメラを使っていると失敗した時に言い訳できない。カメラからのプレッシャーがありました。
アマチュアのカメラなら失敗したらカメラのせいにすればいい。プロ用のニコンのフラッグシップを常に使っていた背景には、言い訳できないところに自分を追い込む効果があったのでしょう。失敗したらカメラのせいじゃない、僕のせいだ。そういうことです。自分を追い込むために、ばかみたいに高いけどいいやって。言い訳できないようにカメラの偉さを利用させていただいていました。