INTERVIEW

N響の新・首席指揮者ファビオ・ルイージに聞く マエストロの愉しみ #02

― 美、旅、お気に入りの逸品たち ―

大矢 アキオ 2022.09.09

第2楽章:過去は壊すものに非ず

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NHK交響楽団に2022年9月から首席指揮者として就任するファビオ・ルイージ氏との対談。前回は世界各地の演奏会場と、チューリヒ郊外にある自宅をもとに、建築について語ってもらった。ルイージ氏は、異なる芸術分野である美術にも造詣が深い。そこで第2回は、彼の絵画に対する嗜好について語ってもらった。

マエストロの心をとらえた 絵画の世界

大矢アキオ(以下AO): 絵画収集の趣味があると伺いました。どの時代に興味をお持ちですか?

ファビオ・ルイージ(以下 FL): とくに私はラファエル前派(筆者注:19世紀英国で起こった芸術運動。中世絵画がもつ素朴な表現への回帰を目指した)が好きです。

AO: イタリア人で、ラファエル前派に興味を抱く人は限られています。たとえば私が住むシエナの人は郷土愛が強いので、常にシエナ派の絵画がいちばんです(笑) 

FL: シエナ派はラファエル前派にインスピレーションを与えた画家群のひとつとして、とても重要です。(ラファエル前派の画家)ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティも影響を受けたひとりです。

ⒸJonas Moser ルイージ氏の自邸の壁には、自身が収集したさまざまなジャンルの絵画が飾られている。

AO: 関心を抱くようになられたきっかけは、何だったのですか?

FL: 高校時代、イタリア語-ラテン語の教師との出会いでした。彼は美術に造詣が深く、ルネサンス絵画とラファエル前派の差異、とくに理想をどう表現するかの違いから教えてくれました。両者のコントラストに私は関心を抱いたのです。

AO: ラファエル前派は19世紀ですが、そのあとに訪れる20世紀の近代・現代美術にはご興味はありますか? たとえばイタリア人アーティストも多く参加した未来派(フトゥリズモ)などです。

FL: 未来派そのものへの関心よりも、その概念に関心があります。全員を議論の場に引き出し、新しい思考過程を創造するためのアイディアです。実際、そこから導き出されたものは、そう多くありませんでした。フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(筆者注 : 詩人・作家。未来派の中心人物のひとり)が起こした改革は止まってしまったのです。

AO: たしかに未来派は、のちに各作家の戦争に対する思想的矛盾により、崩壊に向かってゆきます。

FL: 私がより関心があるのは、未来派の反動です。それは学術的かつ新しいものでした。たとえばマジックリアリズム(筆者注 : 魔法的現実主義 : 文学や絵画で、神話や伝説を現実に落とし込むスタイル)です。カニャッチョ・ディ・サン・ピエトロ、といった画家たちに私は魅了されます。外見上は(いずれも未来派の)マリネッティやジャコモ・バッラに近いものでしたが、魔法的現実主義の人々は改革の本当の意味を理解していました。過去は改革するものであり、破壊するものではないということです。

AO: たしかに過去を徹底的に否定しようとした未来派とは異なりますね。

FL: ただし、未来派の思考自体は素晴らしいと思います。産業や近代化に範をとった、超人的な思考、肉体に関する概念などです。

 

ラファエル前派の創設メンバーで、ミレイの友人でもあったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは、《ベアタ・ベアトリクス》など多くの美人画を生み出した。《鏡の中の女性》で知られるカニャッチョ・ディ・サン・ピエトロは、魔法的現実主義の画家の一人である。

AO: ところで、絵画はどのように収集しておられますか?

FL: 知り合いの画廊がいくつかあります。ロンドンの画商からも数点購入しました。ただしラファエル前派は、市場で発見するのが極めて困難です。短い期間で、かつ作家も極めて限られていますからね。極めて良い状態の作品は、美術館に収蔵されてしまっています。ただし、あまり知られていない作品や、ラファエル前派の作家の友達が残した作品も重要だと考えます。

AO: オンラインのオークションにも参加なさいますか?

FL: 頻繁にします。多すぎるくらいです!

AO: 演奏旅行の途中にもですか?

FL: もちろんです。それがオンラインのいいところですからね!

AO: 今日は、本番を控えたヴェネツィアにおられます。今日、万一オークションでお気に入りの作品を発見なさったら?

FL: 参加してしまうでしょう(笑)

オーケストラ指揮者としてのルイージ氏が最も愛する作曲家のひとりとして、ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(1824-1896)がいる。デンマーク放送協会による2018年のインタビューでルイージ氏は、ブルックナーの音楽を「ナイーヴかつ、ときに幼児性を含んだメロディが含まれている」と語っている。

それを聞いて、ルイージ氏が愛するラファエル前派と、魔法的現実主義の作品を思い起こしてみた。前者の代表的作家で、日本でも人気が高いジョン・エヴァレット・ミレイによる1851-52年《オフィーリア》が今日も人々を惹きつけてやまないのは、底知れぬナイーヴさに他ならない。
いっぽう、後者を駆使したルネ・マグリットの、ある種の幼児性は、その陰にある深い精神世界のメタモルフォーゼであると筆者は見る。青リンゴで顔を隠された男を描いた1964年《人の子》は、その好例である。
そうした意味で、ルイージ氏の美術に向ける暖かい眼は、本人の19世紀音楽に対する解釈と少なからず結びついている、と筆者は確信したのであった。

 

シェイクスピアの代表作「ハムレット」に登場する貴婦人を描いた《オフィーリア》は、ラファエル前派の最高傑作として知られる。(右)ルネ・マグリット自身がセルフポートレートとして描いた《人の子》は、戦後のカルチャーに大きな影響を与えた。

トップ画像 ⒸJonas Moser

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