ヒマラヤの麓、道なき道を駆け抜けろ! 「モト・ヒマラヤ 2022」#04
田中 誠司 ロイヤルエンフィールド・ヒマラヤ 2022.10.03頭痛と濡れた路面との戦い
ヌブラ渓谷のキャンプ場、アップル・コテージ。そこはお花畑の先にある森の中にテントとハンモックが散在する一方、裏庭を眺めると男らしくそびえる山々が夕日を浴びて輝く、楽園のようなところだった。
しかもメインの建物の近くにはWiFiが通じているので、ハンモックのうえで心地よい風に吹かれながらネットサーフィンを楽しむこともできた。
ただし、シャワーのための温かいお湯の供給はわずか30分ほどに限られていた。軍用車を避けるため、よけた路肩で転倒して砂まみれになった筆者は一刻も早くスッキリしたかったので、それを待たずに冷水を浴びた。
いま思えば用心が足りなかったかもしれない。早く寝ついたのはよかったが、鼻水と熱っぽさで夜中に何度も目が覚めた。慣れないキャンプ場の環境のせいかと思い、アレルギー薬を飲んだが治らない。風邪薬も効果はない。いちばん心配したのはコロナ感染だが、極端に不調ではないし熱を測ると36.9℃と微妙だった。次第に空が白んでいくのがテントの天幕越しにわかる。不安を深めていたところ、ロイヤルエンフィールドのスタッフがマシンのエンジンを始動して調子を確かめている音が聞こえてきた。よし、今日も走るのだと意欲が湧いてきた。
前日、弥勒菩薩がそびえる丘から下りてきた坂道を戻るところからツアー3日目はスタートした。いつの間にか集団からはぐれてしまい、すぐ左側が崖になっている道を延々と単独走行する。自分のペースで走れるのは気持ちがいいけれども、幅が1.5車線くらいしかない細い道で、対向車の接近を自分で察知できなければ崖から転がり落ちる、という状況はかなりの緊張感を伴う。
渡河初体験!
やがて、渋滞する集団に追いついた。モト・ヒマラヤ名物の「川渡り」がついに来たらしい。
20年くらい前に4輪車のランドローバーで沼地に踏み込んだことはあるが、二輪車で川を渡るなんて初めての経験だ。「誰が最初に水浸しになるか楽しみ」なんて脅かされて、戦々恐々としていた。
水の底の路面はどんなベテランでも見ることができない。そして、水に浸かった瞬間バイクのスピードは殺されてしまう。コツはとにかく、目線を下に向けてしまい平衡を失わないことと、バイクの推進力を保つことだという。
自分の前を往くヒマラヤのライダーたちはやはりそれなりの勢いを保ったまま15mほどの小川を渡り切っている。さあ自分の番だ。いつでも半クラッチにしてエンジン回転数を高められる用意をしつつ、勢いよく飛び込んでみた。「ザブーン」と突入する反動で、ヘルメットのバイザーを開けっぱなしの顔に大量の水を浴びる。幸い、バイク自体の勢いは失われることなく、膝で上下動を吸収しながら渡り切ることに成功した。
本当は、水に入るときあまりにも勢いがいいと、減速Gが発生して不安定になるので、ゆっくり進んでさあ水に浸かったと思ったところでエンジンを吹かすのが正解だと後から教わったが、とにかく最初の川を渡り切ったのだから良しとしよう。
泣きっ面に蜂
その後われわれは前日のカルドゥン・ラに続く標高5,300m超の峠、「チャン・ラ」を目指した。砂が浮いた滑りやすい舗装路が終わるころ、空は暗くなり雨が降り始めた。タイトなコーナーが続く峠道、路面は土、しかも岩が転がっているという最悪のコンディションである。
しかもそれが、ちょっとやそっとの距離では終わらないのだ。アップル・コテージからは2,000mも上昇しなければならないのだから是非もない。
標高の上昇に伴って、高山病が牙を剥く。いままで経験したことのないレベルにまで頭痛がひどくなってきた。この状態で集団からはぐれ、Uターンを繰り返すようなつづら折りのオフロードをいつまでも登っていくというのは、悪夢に近い。
泣き出したいくらいだけれども、泣いてもなんの解決にもならない。脳内にはどういうわけか水戸黄門のオープニングテーマが駆け巡っていた。「後から来たのに追い越され/泣くのが嫌なら、さあ歩け」。いや、泣くとか泣かないのレベルじゃなくて、命懸けなんですけど、と思いつつ、あと一歩、あと一歩と進んでいくうち、チャン・ラの頂でようやく集団に追いついた。
走り続けるのか?
明らかに具合の悪そうな筆者に、ほかの参加者のみなさんが「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。「あまり調子が悪いなら、“ガン・ワゴン”にバイクを預けて、ドクターカーに乗って山を下りることもできますよ」とも勧められた。ガン・ワゴンとは、ロイヤルエンフィールドのキャッチフレーズ“Made Like a Gun"(銃のように精巧にできている)にちなんで名付けられた、メカニックのユブラージを乗せたサポートカーだ。
ここでリタイア、も考えないではなかったけれども、はるばる日本から来たからには完走に挑戦したかったし、頭は痛いながらもバイク自体には乗り慣れてきた感触があった。峠を越えれば、文字通り頭痛も軽くなるかもしれないし、クルマに乗せられてオフロードを走ったらもっと体調が悪化するんじゃないかという心配もあった。
熟練モーターサイクル・ジャーナリストのサポート
そんなとき、「田中さん、ぼくの後ろを走ってください。桜井さんと岡本さんがその後を走りますから、一緒に行きましょう」と声をかけてくださったのが、モーターサイクル専門メディア「MIGLIORE」(ミリオーレ)の小川 勤ディレクターだった。
カーナビに中継地と目的地を設定しておけば誰でも正しいルートで走れる四輪車の取材に比べて、モーターサイクルの取材は公道上でもサーキットでも、周囲をよく観察してルールに従わないと大事に至る危険性が圧倒的に高い。そうした習慣を通じて、「集団行動だから」と、筆者のような余所者にも気を配ってくださったのだ。
視野が広く、常に安全なルートを選ぶベテラン編集者を追従するのは、一人きりで不安を抱えて走るのに比べて格段に気楽である。たとえば路面の濡れたタイトコーナーなど、どの程度アウト側からアプローチして大丈夫そうか、同じバイクをどんな姿勢で操ればいいのかが一目瞭然だ。ストレスが消えていくのと同時に、頭痛も薄らいでいくように感じた。
この日のルートは、直前の大雨で通行止めになった区間を迂回するために予定より70kmも遠回りしなければならなかったことに加えて、工事渋滞も多かった。四輪車と同じようなペースで渋滞に追従していてはいつまでも進まないので、かなりアグレッシブに、隙間さえあれば前へ突き進んだ。
何度も川を越えて、工事中の荒れた路面を踏み締めるあいだに、筆者が走らせるヒマラヤのエグゾースト・パイプからサイレンサーが外れてしまい、バリバリと威勢のいいサウンドを発するようになってしまった。
翌朝の出発までには同行してくれているメカニックのユブラージが修理してくれたのだが、「なんかいい音のバイクが一台混じってるんですよね」と後続のライダーから指摘された快音は、もしかしたら高山病に苦しむ自分への応援歌だったのかもしれない。
目的地のパンゴン・ツォ(湖)畔のキャンプ場にたどり着いたのは夜8時になろうかという時間だった。日中の強い日差しに備えて、色の濃いシールドをヘルメットに装着していたので、すっかり日が沈んだ最後はそれを開けたまま80〜90km/hを保ち、涙をたれ流しながら疾走した。13時間で240kmを走破する最もタフな一日は、そうして幕を閉じた。