大矢麻里&アキオの 毎日がファンタスティカ! イタリアの街角から #03
文房具はイタリアの縮図だ
大矢 麻里 2022.10.27世代を超えて愛用されてきた
ものづくり大国・ニッポンにはありとあらゆる商品があふれかえり、まるで手に入れられないものなど存在しないかのようだ。しかしその国の文化や習慣に根ざしたちょっとした道具や食品は、物流や宣伝コストの問題からいまだに国や地域の壁を乗り越えられず、独自の発展を遂げていることが多い。とくにイタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。
他の欧州諸国同様、イタリアでは9月から新学年が始まった。過去2年あまり、多くの学校がオンライン授業を実施したり、マスク着用を義務付けていたが、原則としてそれらが解除されて以前の日常が戻ってきた。スクールバスに乗り込む子どもたちの姿も晴れやかにみえる。文房具店やスーパーマーケットには、新学期向け商品が売り場面積を拡大して陳列されている。そこで今回はイタリア文房具の世界をのぞいてみよう。
まずはイタリア人なら誰もが知っている「ファブリアーノ」の紙製品である。創業は、なんと1264年。かのミケランジェロやラファエッロ、ベートーヴェンといった芸術家たちに愛用されてきた。同社は今日デザイン性の高いレザー小物なども手掛けているが、代表的製品は、やはり子どもたちが使うスケッチブックである。それを目にするたび、彼らの中から未来の巨匠が誕生するのを期待してしまう。
いっぽう、そのルックスに思わず手にしてしまうのは、アルミ容器入りの糊「コッコイーナ」だ。発売は1927年。今も変わらぬレトロな姿が愛されている。蓋を開けると漂うのは、なんとアーモンドオイルの甘い香り。同梱の小さな刷毛もキュートだ。さながらイタリア版フエキ糊といったところだろうか。近年はスティックタイプも併売されているが、香りを楽しむなら断然缶入りに軍配が上がる。わざわざ刷毛で塗る手間も、なんだか愛おしい時間に思えてくる。
ただし、古き佳きスタイルを頑なに貫いているイタリア文具の横綱といえば、ステープラーに違いない。初めて目にしたときは、それがステーショナリーだと認識するまで時間を要したほどだ。遠い昔に駅員さんが使っていた改札鋏に似た、極めてゴツい見た目なのである。
ついでにいえば、イタリア人のステープラー使いは実に大胆だ。糊の代わりにそれを頻繁に使うのだ。たとえばあるとき、市役所の窓口でのこと。私の証明写真を書類に添付する際、ステープラーで留めた。それも写真の頭部に針が掛かっていた。反射的に「痛いッ!」と声を上げてしまったのは、いうまでもない。
ステープラーといえば、かつて東京でハンズやロフトに立ち寄ったというイタリアの友人も思い出す。「綴る針の方向を360°回転できたり、針のいらないステープラーまであった!」と、日本人ならおなじみの商品にまで驚きをもって語った。ところが「購入してこなかった」というので聞けば、こう理由を説明してくれた。「祖父から譲り受けたステープラーが丈夫で。まだ壊れていないし、所詮、紙が留まればいいだけだから」。高い耐久性と彼らなりの倹約精神が、イタリア式ステープラーが古臭くも生き残っている背景とみた。
バックパックの進化、そして「イタリア文具」とは?
ところで、四半世紀前イタリアに住み始めたときのこと。「イタリアの子どもは、やたら遠足に行くなぁ」と思っていた。バックパックを背負う姿を、頻繁に目撃したからだ。
後日わかったのは、イタリアでは市販のバックパック(イタリア語でザイノzaino)が、日本のランドセル代わりであるということだ。それも小学生だけでなく、中高生、さらには大学生までバックパックで通学するという事実だった。だから新学期のスーパーマーケットや文具店には、ステーショナリーとともにバックパックも並ぶ。
ファッショナブルなうえ、革ではなく布製ゆえ軽そうだ…という初期の印象とは裏腹に、やがてイタリアの児童や生徒が背負っている本当の苦労を知ることになった。要は「ザイノは軽いが、中身が重い」のである。私も一度、試しに知人の息子である小学生児童のザイノを背負わせてもらったことがある。たちまち、信じられない重さが肩にのしかかった。重量は約10kgあった。児童の体重は35kg。機内持ち込み用トロリーケースに荷物を満載した状態に近い。それを毎日背負って登下校していたのである。
内容物の何が重さの元凶なのか? そこで児童本人に見せてもらった。日本のそれと比較してかなりボリューミーな教科書、ドリル、ノート、算数の立体教材、さらにダイアリーのような分厚い連絡帳、そして重たい辞書も納まっていた。なかでも驚いたのは、大人のお弁当箱サイズほどもあるペンケースだった。開くとボールペン、サインペンに色鉛筆、ハサミや鉛筆削りなども納まっている。イタリアの店頭では、まるごとセットになって売られているもので、それだけで500g近くある。参考までに、イタリアの学校は基本的に鉛筆を使わず、ボールペンやサインペンを使用する。生徒が訂正したり、書き間違えた跡を見て、教師が思考過程を確認できるためだ。
なぜ毎日それらの重量物を入れて、登下校する必要があるのか? それは校内に私物を置けるロッカー設備がないためである。ようやく近年は、重いザイノによる身体への影響が問題視されるようになった。すでにイタリア保健省は、ザイノの重量は児童の体重の10~15%を超えてはいけないと定めている。だが、保護者や教師が、頻繁に重量チェックできるかといえば現実的には難しい。
そうした背景から、近年ザイノのデザインに変化がみられるようになった。車輪付きで地面を転がせるトロリー式だ。日本でも2021年、ある小学生と一企業が、ランドセルをトロリー化させる商品を開発したというニュースが伝えられたが、イタリアはその一歩先を行っている。2022年に私が目にした最新型は、トロリーのハンドルを伸ばすと、肩紐が飛び出すものである。紐がダラリと垂れ下がっているより、瞬時に背負えるというわけだ。
かくもイタリアの学用品は、伝統的グッズと、果敢なイノヴェーションの賜物が混在している。それは中世の館と最先端の高層建築、ルネサンスの宗教画と20世紀未来派彫刻、さらには伝統料理と創作料理が共存しているのに極めて似ている。つまりイタリアのステーショナリーは国の縮図なのである。何年住んでも、この国の文房具店訪問が飽きない秘密は、ここにある。