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六本木クルマ探訪の日に遭遇した「シェルビーGT500」:伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#001

伊東和彦/Mobi-curators Labo. シェルビーGT500、モーガン 2023.09.06

輸入車販売会社から雑誌記者に身を転じ、ヒストリックカー専門誌の編集長に就任、自動車史研究の第一人者であり続ける著者が、“引き出し”の奥に秘蔵してきた「クルマ好き人生」の有り様を、PF読者に明かしてくれる連載。

1968年の某日、たぶん春だった記憶がある。

私と仲間たちは、地下鉄日比谷線に乗って六本木駅を目指すことになっていた。生まれたときから東横線の沿線に住んでいるとはいえ、中学生になっても親以外とは東京へ行ったことはなかったから、未踏の地だった六本木行きは冒険であった。“ハマッコ”はわざわざ東京に行かずとも、元町や伊勢崎町、横浜駅あたりでほしいものが揃ったので、わざわざ都内まで行く必要がなかったからである。

湘南に住んでいた中学のクラスメイトのM君が、東京には見たこともない面白いクルマがゴロゴロいるから、見に行こうと誘ってくれたので3人で行くことにした。もうひとりのメンバーはアメリカ東海岸のボストンから帰国したばかりで、やはりクルマ好きのI君だった。
ある日曜日、私たちはこの計画を実行に移し、期待に胸を躍らせながら、すでに電車の中からカメラを出して準備万端のうえで、日比谷線六本木駅の地下ホームから地上に向けて階段を掛け上がったことをよく覚えている。

地上に上がってウロウロし始めると、休日の早朝にもかかわらず、実物を見たことにないクルマが走っていたのには驚かされた。むしろ休日の朝だから、ファンカーを楽しみで走らせているエンスージアストもおられたというべきだろうか。

私たちが住む横浜には米軍住宅が点在し、学校の帰りに徘徊していた伊勢崎町や元町、たまに覗きに行った本牧界隈、特にPX前あたりはクルマ見物のホットスポットであり、新旧いろいろなアメリカ車を見ていたが、東京での雰囲気はちょっと違っていた。東京ではガイシャを運転しているのが日本人だったことが、なにより新鮮だった。

PXと言っても、ある年代以上の方だけが理解できると思うから説明しておきたい。Post Exchangeというアメリカ軍の施設で、食品や日用品などを販売して、軍人と軍属などしか入場ができなかった。そこには私たちにとってはめずらしいクルマがやってくるので、いいクルマ見物の場所になっていた(と、言っても先輩方の時代はさらに煌びやかなクルマが来ていたらしいが)。PXの中で販売されている品の多くは直輸入品だったので、私たちは雑誌や、日本では売っていなかったプラモデルなどが気になってしかたがなかった。日本のおとなにとっては屈辱的な駐留軍の施設だろうが、クルマ好きの少年にとっては面白い場所だったのである。

話は戻るが、人生で初めて、モーガン(その時には車名は分からなかったが)を見たのは、この時の六本木ツアーの時だった。グリーンのモーガンがベージュの幌を立てて、野太い音をたてていたのは、今でも記憶に残っているほどだ。ああ、あれが雑誌で読んだブリティッシュ・グリーンなのか、クラシックカーなのかと思った。“現代車”より、その佇まいとスタイリングが印象に残った。こうしたスタイリングのクルマは、横浜市内で何度か見たMG TF(黒の外装色に赤い内装だった)以来だった。

慌ててシャッター切ったのでブレブレの写真だが、これが走ってきたのに気づいたのは、聞いたことのない排気音だった記憶がある。

モーガンを見送ったあとで、衝撃的だったのは、ここに掲げたピカピカのシェルビーGT500に遭遇した時だった。目映いばかりの鮮やかなブルーメタリックの塗色は、見たことのない輝きを放っていた。

横浜で見たことがあるマスタング・ファストバックにしては雰囲気が違うことしかわからなかったが、たまたま目の前の信号で停まったので記念にシャッターを切った。フィルムは節約しなければならないから、1枚だけ丁寧に撮った。暗室に籠もってDPE(もはや死語か?)したのがこれだ。アメリカ帰りのI君が、聞き取れぬ発音で車名を言い当てたのだろうが、カタカナ英語しかしらない私は、シェルビーとは聞き取れなかった。

このクルマの詳細はわからず仕舞いだったが、後日、書店の店頭に並んでいた自動車雑誌(Carグラフィックと表紙にあった)の表紙に目が吸い寄せられた。なんとこのクルマが表紙になっていたからだ。定価350円と、中学生の小遣いでは高価すぎる雑誌で、ページにはまったく難解なカタカナ言葉が並んでいたので、買ってみようとの気にはならなかった。

買わずとも、あの青いクルマの記事だけを立ち読みしようとしたが、雑誌に掲載されていた記事と、エラそうな筆致に対する好奇心には勝てず、小遣いを捻出して、後日、意をけっして雑誌を買うことにした。もし、あの時、このシェルビーGTに遭遇しなかったら⋯⋯こんな値が張る雑誌は手に取らなかっただろう。

これ以降、この雑誌との付き合いが始まることになり、やがて発売日を待ちわび、挙げ句の果てに編集記者になるなど、なんという運命のいたずらなのだろうと、今でも思う。
あとになって、このクルマの紹介記事を書いた先輩に聞いたところ、アメリカから持ち込んだ人からの電話で取材することになり、表紙に選んだそうだ。なるほど、二十有余年ぶりの疑問氷解であった。

(トップ画像:シェルビーGT500。日本車では見たことがないメタリックブルーの鮮やかな塗色に目を奪われた。後方は首都高速の工事現場。)

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