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再び挑む100マイル・レース #01:深夜スタートでさらに厳しくなった2024年「Mt.FUJI100」

佐々木 希 Mt.FUJI 100 2024.08.01

昨年の「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI」100マイル(≒160km)レースをみごと完走した佐々木 希 選手。今年4月、「Mt.FUJI 100」とその名を新たにした大会にふたたび挑むことになった。いくつかの変更で昨年以上に難易度が増したといわれる今年のレースに、どのようにアプローチしたのだろうか。佐々木選手自身によるリポートをお届けする。

コースが昨年と一部変更になり、距離は1.9km伸び、累積標高はおよそ10%アップ。制限時間は変わらず最長45時間。

“100マイラー”になって迎える初の100マイル・レース

ジョギングを始めて13年、“なんちゃってトレイルランニング”を始めて9年、本格的にトレランをするようになって5年。2021年からレースに参戦。2023年、14戦目に、ついに憧れであった100マイル・レース「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI」を完走、“100マイラー”になった。

グループ・ランに顔を出せば、「マイラーさんだよ」と一目置かれる。「次はどのマイルレース?」「また来年もやるんでしょ?」みんな、さらに上を目指すものと決めてかかってくる。ランナーのコミュニティは向上心の強い人たちだらけなのだ。

一度だけ、完走できたら満足、のはずだった。出るまでの5ヶ月はそのための練習や準備、走った後のおよそ1ヶ月はダメージを受けた体のリカバリー。約半年、このレースのために時間を費やした。完走できなかったら、来年もきっと挑戦する?いやいや、またこんな縛りは二度とごめんだ、という気持ちもあっての意地の完走だった。こんなに長くて辛いレースは走らない、と心に誓った。

100マイルを走れたことで、周りから言われているように自分はロングディスタンス・レース(>80km)に合っていると自覚した。速くは走れないので制限時間の短いレースは向いていないが、ロングで苦しむ人が多い胃腸トラブルはほぼなく、睡眠もあまり取らずに走れるし、後半のスタミナ切れも感じにくい。だとしても100マイルはきつすぎるので、今後はこの経験を活かせる100km級のレースを中心にやっていきたいと思った。

しかし、終わって時間が経つほどに、じわじわと辛さを忘れていき、楽しかったことばかり思い出す。経験したことのないとんでもなく辛い、苦しい40時間を乗り越えてのゴールは、これまたとんでもない達成感に満ちたものだった。同時に、反省点、改善点も思いついてしまう……「もし次やるなら」そんなことばかり考えてしまうのだ。

2023年ULTRA-TRAIL Mt.FUJIの完走率は70.67%だったが、レースに出た仲間の完走率は50%以下。ほとんどが来年も挑戦すると宣言した。そして新たに参加資格を得て、来年初挑戦できる仲間もたくさん増えた。また仲間と一緒なら、練習も本番も頑張れるのではないか。もう一度やったら改善して臨みたい点がいくつもある……レース3ヶ月後には翌年も出ることを決意していた。

(上)大会前日の2024年4月25日、ゴール会場となる富士北麓公園で受付をする。ここに必ず戻ってこようと仲間と誓う。(左)受付後、スタート地点の富士山こどもの国に移動。翌日4月26日午前0時のスタートまで、サポーターの車中で2時間ほど仮眠。(右)スタート1時間前、第4エイド(97.4km地点)に置けるドロップバッグ(レース中必要なものを入れておく)を預ける。

昨年4月にULTRA-TRAIL Mt.FUJIを完走してから、1年間に出たレースは5つ。いつ、どのレースに出るのかは、年単位で目安を立てている。どのレースもエントリーは数ヶ月前から始まる。なので100マイル走れるかもわからないうちに、次に出るレースを決めた。

しばらくは回復に時間がかかるだろうから、6月に軽めに「モントレイル戸隠トレイルランニングレース」20km、7月に挑戦してみたかった100kmカテゴリーとして「志賀高原100」を選んでエントリーした。

無事100kmも完走できたので、また“FUJI”を走ろうと決意した。この時点から、常にそのことを意識した日々となる。9月に「白馬国際クラシック」50km、11月に「信州松代ラウンドトレイル」36km、12月に「伊豆トレイルジャーニー」70kmに出場、完走した。レースをコンスタントに入れるのはレース感覚を忘れないためでもあるし、レースを予定していることで日々の練習もそれに向けて頑張れるからである。何より、日本各地で開催されているレースをあれこれ吟味して攻略する、この行程が楽しいのだ。

(左)スタートは10分おき、4ウェーブに分かれる。ゲートに並ぶ前に仲間と撮影。(右)真夜中にもかかわらず、たくさんの応援者が。エールをうけながら長い旅にでる。

今回のFUJIは厳しいぞ!

2024年から大会名は「Mt.FUJI100」に改名された。こちらも気持ちをリセット、いざエントリー!

2023年12月5日、無事、抽選という0次関門も突破。2回目というプレッシャー、2回目だからやりやすい、2回目だから難しいことも……ああ、また自分を追い込んでしまった、でもやるっきゃない!

今回は大会側の都合で、いつもの午後2:30スタートが、異例の午前0時スタートに変更された。前日か当日夕方までに、ゴール会場の富士北麓公園で受付を終えた後、スタート会場の富士山こどもの国へ移動しなければならない。ということは、出走前にろくに睡眠がとれない。昨年と昼夜逆転することで、同じところを走っても感じ方はガラッと変わるはず。それが、いいのか悪いのか。

コースも数カ所変更された。ゴール会場は、富士急ハイランドコニファーフォレストから、その数キロ先の富士北麓公園に。距離も少し伸び、登りの累積標高(レース中の登り標高の積算値)も10%ほどアップ。エイドも1箇所減って、全部で8箇所に。エイド間が25kmひらく区間が3つもある。なかなか長い。天候によっては相当多くの水を背負わないと、道中水切れを起こす可能性もある。皆、口をそろえて、今回のFUJIは厳しいぞ、と身構えていた。

(上)準備に一番時間がかかるのが、行動食選び。作ったレースの進行予定を元に、スタート、前半、後半、ドロップバッグにいれる予備、の食料を決める。(左)目標完走タイムは約39時間。道中2回夜がやってくるので、ライトの充電のタイミング、仮眠の場所、時間、を頭に叩き込む。ドロップバッグを受け取るポイントでも、何をするのか、やる順番も決めておく。予定より遅れたから速く走って巻き戻す、なんてことはそうそうできない。いかに走ること以外の時間を短縮できるかが、タイムを縮める鍵だ。(右)サポーターが、私の居る位置を把握できるように、GPS端末「IBUKI」をレンタルした。手のひらサイズ、78g。稼働時間は33時間程度なので途中で充電が必要。かなりの精度で、居場所がわかる。これのお陰で、サポーターは先回りして道中何回もコース上に現れては応援してくれた。

レースまでのプランは、12月〜3月の4ヶ月は、脚作りとして月間300kmラン、累積標高は最低10,000m。4月はテーパリング期間。走る量も強度も落とし、疲労を抜いていいコンディションにするよう努める。

昨年は6回試走したが、今年は山梨は雪が降ることが多く、行けたのは1度だけ。トラウマになっている後半のきつい山間部から、今年は変更になったゴール地点までの31kmを走った。あとは昨年走った記憶と、実績を頼りにレースプランニングを進めた。スタート時間もコースも一部変わったが、昨年のデータが有るのは強みだ。

食事やサプリメントを通じたコンディショニングにも気を配った。サプリメントは常時、鉄、カルシウム、カリウム、ビタミンB群、ビタミンCなど数種を服用している。

4月からはカフェインとアルコールを断ち、糖質制限、週2回整骨院に通いマッサージ、鍼、電気治療。レース数日前からはマグネシウム経皮吸収、アミノ酸ローディングをした。カフェインを断つのは、レース中摂取するカフェインの覚醒効果を最大限引き出すため。40時間もほぼ寝ないわけだから、それでも眠気はやってくるが、カフェイン錠剤の摂取後1時間ほどはギラギラする。筋疲労を軽減させる効果もある。

アルコールは脱水や心拍の乱れ、内臓負担など、走るには弊害になる要素が残念ながら多い。私にとって禁酒は負担なので、走りのパフォーマンスと気持ちのストレスを天秤にかけ、「走る」>「酒」のギリギリラインから禁酒を始めた。糖質制限、と言ってもゆるいものだが、体が軽いほうが走りやすいという理由で、いつもレース前に減量目的で行っている。

(上)スタートゲートの足元にはスポンサーの「THE NORTH FACE」のロゴが。(左)選手が灯すヘッドライトは、これから向かう先の山肌でもキラキラと光の列を創り出してなんとも美しい。(右)スタートから数時間、空が明るくなりだし、富士山の姿がくっきりと現れる。こんな景色を見ながら走る、それを2146人の選手と共有している。人生でこんなに心を震わせるようなことはそう何回もないであろう。

無事、怪我もなくいいコンディションで本番を迎えられた。減量だけはうまくいかず、昨年のより3kgも重い状態だったけれど、その分パワーはあると信じ(笑)、メンタルも上々。2回目の目標は、昨年の自分越えと、昨年より楽しむこと。

一部画像提供:©富⼠箱根伊⾖トレイルサポート

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