自らの脚で、160kmを駆け抜けるということ:ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2023 参戦記 #4
佐々木 希 ULTRA-TRAIL Mt.FUJI 2024.02.16登山道を中心とする山岳コースを走りながら自然との触れ合いを楽しむスポーツ、「トレイルランニング」。コロナ禍を経て急速に人気を高めているこの競技では、参加者同士がタイムを競うレースも開催されている。中でも日本で最も重要な大会として位置づけられる「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI」では、100マイル=160kmを一気に駆け抜ける。
制限時間およそ45時間のレースにあたっては、選手自身のフィジカルなトレーニングはもちろん、携帯品の用意やレース戦略構築が大きく結果を左右する。入念な準備を経て迎えた本番、2023年4月21日〜23日にかけて行われたレースに挑んだ佐々木 希選手による参戦の記録をお届けする。
決戦の日、来たる
ついにULTRA-TRAIL Mt.FUJI に参加する日がやってきた。
1年近くかけ、クリアしなければならないいくつものレースに出て、参加資格を得た。40時間以上、走り続ける100マイルレース。足を止めるのは、エイドで水分や食料補給、トイレ、眠気に限界が来たら15分程度の仮眠をとる、ときのみ。
そんな過酷なレースを完走するには、強靭な体力、走力、メンタルを備え、入念な準備もしなくてはならない。お伝えしてきた通り、参加決定からの5ヶ月間は、レースのことを最優先させた生活だった。
コースをよく知るために試走を繰り返し、時間を捻出して走り込んだ。入念なレース計画、補給食、サプリメント、薬類、ウェアリング、テーピングなどの準備にも多くの時間を費やした。体力は特に未知の領域。予想される内臓トラブル、疲労、などを少しでも回避すべく、アルコール、カフェイン断ち、ファットアダプテーションを行い体質改造にも取り組んだ。これらをすることで、体重を落とし、良質な睡眠をとり、体を整え、レース中の集中力をあげ、眠気対策、脂質をエネルギーとして利用できる体を作ることで、補給頻度を減らして内臓負担を減らす、などが期待できる。
0.0km地点:日本最高峰のレースを前に、武者震い
4月21日、天気は快晴、レース中の予報も寒すぎず暑すぎず、と条件は最高だ。スタート会場で、ゴール地点で受け取る自分の荷物と、スタートから96.4km地点の、第5エイドで受け取れるドロップバッグを預ける。70リットル入るドロップバッグには予備の衣類や薬、後半の食料などを用意した。
スタート前の1時間半は軽く食事したり、参加する友人と写真を撮ったりして過ごす。開会式では大会会長の鏑木毅さん、プロデューサーの福田六花さんらが盛り上げてくれた。14:30、第1ウェーブがスタート。
私のスタートは14:45の第2ウェーブ。レース前の緊張感にはだいぶ慣れてきていたが、ULTRA-TRAIL Mt.FUJIは別格、緊張と興奮で武者震いした。
一緒に走る2400人の選手、選手を支えてくれるたくさんの大会スタッフ、応援してくれている家族や仲間のことを思うと、不安もいくらか和らいだ。何より自分を信じよう。きっと大丈夫、完走できる、完走する。
翌日開催のレース、KAI69kmに参加する仲間に見送られながら、いよいよ164.7kmの旅に出た。
30.0km地点:飛ばしすぎない、休みすぎない
コース全長164.7km、累積標高6451m、制限時間、第2ウェーブ出走の私は44時間45分。私の完走目標時間は40時間38分。
エイドは全部で9箇所。23.8km地点の第1エイド、富士宮までは緩やかな下り基調の林道がメイン、楽に走れるパートだ。しかし、飛ばしすぎて心拍数を上げすぎると長時間動き続けられなくなるので、GPSウォッチで150を超えないように確認しながら走る。計画通りのペースで到着、エイド滞在時間は10分で設定のところ5分オーバー、次のエイドを目標に進む。
第2エイドの手前では前半のボス的存在の天子山地を越える。はじめの3kmで800m以上上昇、その後6km、アップダウンを繰り返し、前半最高地点、熊森山(1574m)に到達。そこから11kmで766m下降する。21kmにわたるこの山岳パートでかなり足が削られた。
計画より1時間19分巻いて(早いペースで)、第2エイドに到着。下りで古傷が痛みだしたので、面倒くさいとも思ったが大事をとってテーピングをさらに追加して補強する。ご当地グルメの富士宮やきそばや、まんじゅうなどをいただく。まだまだ胃も調子いい。ただ、テーピングをするために座ったので、リスタートしてしばらく足が重くなってしまった。急に体を休めると血液の流れが滞ってしまう。
73.1km地点:仲間に会いたくて、先を急ぐ
次の第3エイドまでの10.3kmは緩やかな登りで足の負担も少なくクリア。第4エイドまではじわじわ足にくるアップダウンを繰り返し、本栖湖の外輪山を半周ほどして街へ降りる頃、夜が明けてきた。とりあえずゴールまで3分の1はきた! まだまだ先は長いが、眠気もなく、気力も足も余裕あり。
予定の64分巻きでエイドに到着。楽しみにしていた田舎ぞうすいと塩おにぎりをいただく。次の第5エイドに、このままのペースで走れば、KAIのスタートに間に合う。仲間に会いたい。
「どんなに遅くてもいいからロードはなるべく走る。歩かない、止まらない」と仲間に言われてきたことを守る。周りには歩く人の姿も増えてきていて、かなりの人数を追い越した。
96.4km地点:ドロップバッグと再会してリセット
第5エイドに、予定の2時間51分巻いて到着。仲間の顔を見てから、ドロップバッグをピックアップし、女子テントの中で、ウェアを全着替え。これから先、標高の高い山中で夜を明かすことになるため、半袖から長袖に。着替えたところでまたすぐ汗だくになるのだが、気持ちがリフレッシュ、リセットされた。時間を惜しんで我慢していたが、常に持ち歩いていた歯ブラシが、ここでやっと登場。こんなに歯磨きして気持ちよかったことなんて、人生初かも。
ドロップバッグに入れていた粉スープを、お湯をもらって飲み、胃を温める。まだ胃の不調はないが、胃に効く漢方薬を飲む。後半の補給食を入れ替えたり支度を済ませると、予定の30分なんてあっという間、44分も滞在してしまった。
KAIのスタートを見送り、自分もあとに続く。到底追いつけないが、彼らと一緒に同じコース上にいると思うと、心強かった。
112.4km地点、第6エイド、忍野に到着。スタートから23時間32分27秒経過。スタートから5本目のバナナと白湯をいただく。白湯が胃に優しく沁みた。
自身で持つ補給食はなるべく減らし、エイド毎に、300kcal分くらいの食料を調達して補填していた。いくらか食欲も落ちてきて、エイドでもらったパンがいつまでもザックから減らない。動き続けるためには食べないといけないのだが。
112.4km地点:睡魔と痛みとの戦い
次の第7エイドに向かう途中、ついに睡魔が襲ってきた。34時間起きていて、26時間走っている。1月に痛めた右足首と、両足裏も地面につくたびに痛い。古傷のシンスプリントも痛みが増してきて、鎮痛剤を飲んだが、気休め程度にしか効かない。あとゴールまで目標15時間、2回は飲める。飲んで少しでも痛みを和らげてペースを落とさないようにしよう。
走っている間も、薬やサプリメント、補給食を摂るタイミングを、進行状況を見ながらコントロールする。次のエイドまでこのペースだとどれくらいか、この先のレース展開は?など考えることは山ほどある。だが、痛みや眠気で集中力も欠けてきて、頭の整理がつかないまま、次のエイドに到着した。
ここでもマイラーの友人が応援に来てくれていた。いつものように優しい言葉を期待して、足が痛すぎる、と泣きついたが、「痛い?そんなの当たり前!」と笑い飛ばされた。そっか、そうだよな、と今の状況を受け入れてどう乗り切るか冷静に考え直した。
コーヒーを飲んでから、仮眠所で10分横になるも眠れず。起きて、豚汁とおにぎりをいただく。コンタクトレンズも取り替え、待ち受ける夜間の高山パートに備え、防寒着を着た。4月下旬とはいえ、山梨の山中の夜間の気温は1桁だ。登りは暑く、下りや、風の強い場所は寒い、立ち止まればたちまち汗冷え、面倒でも、体温調節をこまめにしないと、低体温症に陥る。
ここからが本当のULTRA-TRAIL Mt.FUJIだと皆が言う。125km走ってきてからの40kmに待ち受けるのは、コース中、最高峰の杓子山(1597m)を含む、きつくて長い山岳パートだ。
124.7km地点:減っていく“貯金”
あとたった40kmじゃないか、と気合を入れて出発するも、ずっと登りが続く。一歩一歩が本当にきつい、眠い。ペースが同じ人になるべくついていくが、離されてしまう、と次に追いつかれた人にまたついていく、を繰り返す。女子の選手が眠気をとばそうと、B'zの“ultra soul”を歌っていた。一緒に歌う元気はとてもないが、頭の中では口ずさみ、いくらか元気をもらう。区間最高峰、石割山(1412m)にやっと登りつめ、そこから二重曲峠まで下って第8エイドに到着。第5エイドで2時間51分あった貯金は1時間28分まで減っていた。
暗い山中から、久しぶりに眩しすぎる明かりが灯ったエイドへ。現実に引き戻されるような不思議な感覚だ。みんな顔が疲れていて、今までになく空気が重い。仮眠所の設置はこのエイドにはないが、寝ている人は多数いた。私も今度こそ少し眠らないと。ストーブのそばの椅子を確保し、ザックを抱えて15分うなだれる。少し眠れた感はあったが、疲れはとれるどころか一気に増幅、気力もそがれてしまった。
なんとか重い腰を上げ、エイドに設置されたホワイトボードの前に立つ。これから登らなくてはならない、杓子山までの急曲線を見て、試走での大変さを思い出す。あれを今から? ここを出発したら、越えるしかない。本当にそれだけの体力が残っているだろうか? しばらくボードの前から離れられずにいた。
145.5km地点:真夜中の山頂に響く鐘
意を決して、エイドをあとにするも、すぐさまの急登りで即、からだ全体、拒否反応。やっぱりこんなの無理だ……やめる理由が頭の中でいくつも浮かぶ。追い込まれて涙が出そう、泣いたってなんにもならないのに。でも一歩一歩進むうちに、あとにしたエイドが離れていく。今やめて戻るのも、せっかくこれだけ登ったのにもったいない。やめることを諦めたくなるくらい登ってしまおう。
そのうち眠気も飛ぶほど、しばし手も使ってよじ登るような緊張感のある岩場登りに入り、気持ちももうゴールに向けて前向きになれた。ヘッドライトを頼りに真っ暗な山中を、耳を澄ませながら黙々と進む。聞こえてきた! 杓子山に到達した選手が、山頂の天空の鐘を鳴らしているのだ。音がどんどん近づいてきて、ついに山頂に。さあ、私の番。ここまでこれた、そして最後まで行くぞ、と念を込めて、真夜中に思い切り鐘を鳴らす。心が震えた。この非日常さがレースの醍醐味だ。
足が痛くて悲鳴がでそうな激下りを降りたら、今度は一気に眠くなる林道を、半分意識も飛びながら蛇行、一人になったら倒れてそのまま寝てしまいそうなので、前を行く選手に食らいついて走る。なんとも辛い区間を乗り越え、最後の第9エイドに到着。
ご当地名物、吉田うどんをいただくが、もはやおいしい、というより体に何か入れようという感じ。再び仮眠をとる。ここも20分の休憩予定を大幅にこえて47分滞在。貯金は更に減り、29分。
残りは、たったの約15km! またそこそこ登るのだが、もう気持ちはゴールに向かっていた。途中同じペースで走る前後の人たちと会話をして眠気をとばしながら、最後の上りを終えた。
あとは下るだけ! 眠気も吹き飛んだ。普段なら、とても気持ちよく飛ばして走れる区間だ。そこそこ走れたら、目標を上回って、40時間もきれるかもしれない。やってみるか……
靴の紐をきつく締め直す。
「耐え抜いてくれ、私の足!」
走り出したら激痛、とても走れない。でもこの先しばらく走れなくなったっていい、勝負しよう……走っては歩いてを繰り返しトレイル区間をなんとか降りてきた。あと2キロも微妙な登りで、最後の最後まで苦しい。が、歩けば間に合わない。40時間切れるペースを緩めず、歯を食いしばって走り続けた。
164.7km地点:夜が明け、FUJIが姿を現す
ついに会場に。試走も付き合ってくれた先輩マイラーが、サプライズで待っていてくれた。「本当によく頑張った!」と声をかけられ、涙があふれる。最後の花道は、両側からたくさんの熱い大声援。
「富士山、さっきまで隠れてたんだよ、良かったね!」
「泣かないで、笑ってゴール!」
本当だ、レース中でここ一番の富士山が。花道で出迎える人々とハイタッチをしながら、最後の直線を楽しんで走る。ゴールテープを力いっぱい握りしめ、高々と持ちあげた。
山が好きでトレイルランニングをしているのに、
「もうこんなに辛いことは、この一回きりにしたい。だから絶対完走する。」
そんな気持ちで後半を乗り越えた。
完走後の記憶も曖昧、死んだように眠った。翌日以降、全身激しい筋肉痛や足の炎症で、2日間は歩行も困難。気づけば背中はザック擦れですりむけ、足の爪は死に、鼻水で鼻下は荒れ、サプリの乱用のせいか、舌はただれていた。見たこともないほど足は腫れあがり、全身むくんで体重は5キロも増加、整骨院でしばらくメンテナンスを続けなければならなかった。感覚的な回復率は、2週間位で70%、4週間で90%くらい。酷いさまだったが、このうえなく幸せだ。
再び山に入ったのは、2週間後だった。久々のトレイルランニング、まだまだ疲労感はあったがやはり楽しかった。
やっぱり、今年もFUJIで会いましょう
「そろそろ、辛かったことが薄れて、楽しかったことばかり思い出して、また100マイル走りたくなってきた頃でしょう?」
とトレラン仲間から言われた。まさか! さすがにもういいよ、といいながら結局、この記事に取り掛かり始めた昨夏には、翌年もエントリーすることを決めた。リタイアした仲間、新たに出走権を手に入れた仲間たちと、もう一度走りたくなったのだ。辛かったことが今も薄れないほど苦しかった。今度もまたきっと、やめたくなって苦しむのが容易に想像つく。でも、限界はまだきていない。
ULTRA-TRAIL Mt.FUJIに挑戦、自分自身を探求し続けた。 自らの肉体と精神の可能性を広げ、その限界を見据えることができた。
決して諦めなければ、私は160kmを駆け抜けられるのだ。
<完>