LONG-TERM TEST

日常で乗るマクラーレン

橋本 誠一 マクラーレンMP4-12C 2022.05.17

スーパーカーというカテゴリー

マクラーレンは俗に言うスーパーカーと呼ばれるクルマだ。スーパーカーかそうでないかの線引きは難しいが、子供たちが指をさして追いかけてきたり、勝手にスマホのカメラを向けられたりするのがスーパーカーと呼ばれるモノだと思う。故に、人によってはその目立ちすぎるスタイリングを好まない事もある。

しかし、マクラーレンMP4-12Cは2012年の登場当時フェラーリやランボルギーニなどのライバル達に比べ、「地味だ」「オーラを纏っていない」「非日常性がない」などと評価する海外ジャーナリストが多かった。確かに、冷静に見ればこれといって凄みのあるデザインではない。

性能は勿論、ライバル達を上回るか同等なので恐ろしく速い。一般道ではその性能の数パーセントしか使えないので、こういった車を所有する人々はコレクション的に所有するか、サーキット専用かのどちらかが多いのではないかと思う。でも私はそのどちらでもなく、日常的に乗ることを前提として購入した。

photo: J.ハイド 奇をてらわぬ至極真っ当なスポーツカースタイル。数十年後には、この頃のクルマのデザインは温もりがある……と懐かしまれるのではないかと予想する

目的のためのデザイン

例えば上に跳ね上がるディヘドラルドアは機能のためのデザインだし、運転中の操作系類の配置や操作感に至っても理論的でスムーズに操作できる。どんなに美しくても機能的でなければ意味はない。そういった思想を強く感じる。マクラーレンにとってデザインは機能設計から発生する理論的な行為であって、セールスポイントとして使うモノではないのだろう。

人間の身体は機能そのものがデザインになっているので、不要なパーツは存在しない。アスリートの身体が美しいのは究極の機能美だからだろう。目的を達成するために、必要な場所を強化し不要なモノは捨てる潔さが美しさを醸し出す。「オーラを纏っていない」と発言したジャーナリストは、そんな観点からはデザインを見ていなかったのだと思う。

photo: J.ハイド カーボンモノコックの初代モノセルは最新のものに比べると高さがあるので乗降性は良くないが、それよりもドアの開閉のために必要な幅が大きい事が問題になるシーンが多い

好きになる存在と尊敬する存在

好きになる事と尊敬する事は少し違うと思うが、自分にとってマクラーレンは後者だ。出来すぎた相手、身分不相応のお相手と言ったら言い過ぎか……。購入から5年、プロダクトデザインの結晶のようなこのクルマと、もう少し一緒に過ごしたいと思っている。

今回、PF(パルクフェルメ)のローンチにあてて、ロングタームテストとして寄稿する事になったのだが私はプロの自動車ジャーナリストではない。記述に不確かなモノも含まれてしまうかもしれないが、一般のクルマ好きが乗る「マクラーレンとの日常」として参考にして頂ければ幸いだ。

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