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伊東和彦の写真帳_私的クルマ書き残し:#41 ランボルギーニを訪ねた日(その1)

伊東和彦 ランボルギーニ 2026.02.03

追憶のフィルムから見えてきた、あの日

「ランボルギーニ工場見学 イタリア旅行にて撮」とだけ書かれた封筒が“未整理写真”の箱から出てきた。私的な旅行で撮影した写真(クルマが多い)を放り込んでいた箱だった。撮影した年月日はおろか、一切のメモも添えられていない。仕事ではない証拠に撮影枚数はごく少なく、いつも携帯していたストロボもない小型カメラ(ミノルタCLE)での撮影であり、さらに自分が興味を持った被写体だけであり、個人的備忘録の範疇でしかない。

オフロードモデルのLM002がけっこう多いことに私は注目したようで、LM002の写真が多い。タイトルに掲げたのは、1988年LM002エヴォリツォーネ(LM002パリダカール)。パリダカール用に2台が製作されたという。
LM002パリダカール。白色がランボルギーニ・ファクトリー製、オレンジ色はスイスのレーシングチームの製作。1台はWRCチャンピオンのサンドロ・ムナーリがドライブする予定だったというが計画は頓挫した。

訪問の時期は正確に特定できなかったが、1987年晩秋から88年初春までの間ではないかと思う。根拠は駐車場に停まっている一般車にクライスラーが多いこと。

敷地内には多くのクライスラー車が停まっていた。よってクライスラーがランボルギーニを買収した1987年以降の訪問だと判断した。

次にマウロ・フォルギエーリが写っていることだ。

フォルギエーリさんの写真は多く、中にはテーブルを囲んでいるカットもあった。左には今より38歳も若い私がいるが今回はトリミングした。彼がランボルギーニに移籍したのは1987年だった。

1987年にクライスラーがランボルギーニを買収。フェラーリで数多くの成功作を手掛けたフォルギエーリがランボルギーニへ移籍したのも同じ1987年だ。私がフォルギエーリをランボルギーニで目撃して驚いた記憶が蘇ってきた(彼の写真点数が多い)。写真を凝視していると、しだいにイタリア工業会に顔が効く方と一緒に、短時間ながらランボルギーニを訪問した記憶が蘇ってきた。

組立てを待つカウンタックの鋼管製シャシー。モデナのスペシャリスト、マルケージが供給したとある。これほど複雑な形状のシャシーフレームを持つ生産車は空前絶後に違いない。1974から89年に累計約2000台が造られた。
これまた外部サプライヤー(ベルトーネ)から送られてきたカウンタックのボディが組立てを待つ。
加工を終えたベルハウジング。軽合金鋳造技術の高いスキルがイタリアのスーパースポーツカーを支えているのだろう。
カウンタックの組立てが正にはじまろうとしている。
塗装を終えた半完成の車体が作業中。
組立てラインのほぼ後半にあるのは、巨大なバンパーを備えていることから北米仕様だ。

そうした経緯の写真だが、今、38年を経て見直してみると、メモといえども歴史の1ページの断章かもしれず、ランボルギーニ好きはもとよりスーパーカー好きの読者の方に喜んでいただけるのではないかと思えてきた。私自身はスーパースポーツカーへの関心は薄く、ランボルギーニにも興味を覚えていなかったが、いずれなにかの役に立つだろうと思いシャッターを切ったのだろう。撮影条件も悪い中での素人写真を簡易的なスキャナーで読み込んだだけであり、画質が悪いのはご容赦願いつつ、今回と次回の2回に分けてご覧いただくことにして、今回は“比較的新しい車両”に絞ってみた。

完成した2台のカウンタックが並ぶ。左は大型バンパーを備えた北米仕様。
なにげなくシャッターを切ったのだろうが、北米規定のサイドマーカーランプを備えつつ、生産型とは異なるブリスターフェンダーを持つ、見慣れぬ1台。

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