聖なるワインと酔っ払いドルチェ:大矢麻里&アキオの毎日がファンタスティカ!イタリアの街角から#31
大矢 麻里 Mari OYA/イタリア在住コラムニスト 2026.02.21イタリアには、ユニークで興味深い、そして日本人のわれわれが知らないモノがまだまだある。イタリア在住の大矢夫妻から、そうしたプロダクトの数々を紹介するコラムをお届けする。
招待されたら覚悟せよ!
イタリア人家庭から食事に招待される機会があったら、前日から胃腸のコンディションを整えておくことをおすすめしたい。というのも、家の主はたいてい料理上手なうえ、用意される品数が尋常ではないからだ。
小粋な前菜に始まり、続いてパスタ。しかも一皿とは限らない。ロングパスタのあとに、焼きたてのラザニアが登場することもある。さらに気前よく、数種類の肉料理が運ばれ、付け合わせの野菜も山盛りだ。その頃には、「なぜ前菜の生ハムとチーズをおかわりしてしまったのか…」などとという後悔が、確実に押し寄せてくるに違いない。
食後に差し出される、小さなグラス
イタリアに住み始めた頃、同様のシチュエーションで胃袋の限界を迎えた私は、さすがにデザートを丁重にお断りした。すると家の主人が、待っていましたとばかりに小さなグラスを差し出した。そう、食後酒である。日本ではあまり馴染みがないが、イタリアでは消化を助け、食後をリラックスして締めくくるために、それをたしなむ習慣がごく自然に根づいている。
イタリア中部トスカーナ州における食後酒の代表格といえば、甘口ワインの「ヴィンサントVin Santo」 だ。トレッビアーノやマルヴァジアといった白ブドウを主体に造られるこのワインは、一般的な甘口ワインとは製法が大きく異なる。
貴腐ワインが貴腐菌の働きで糖度を高めるのに対し、ヴィンサントは収穫した完熟ブドウを、屋根裏など風通しのよい場所で数か月かけて陰干しする。いわば「干しブドウの一歩手前」の状態だ。水分が抜け、糖分と香りが凝縮されたブドウは、発酵を経たのち「カラテッリ」と呼ばれる小さな樽に移され、何年も静かに熟成される。
ヴィンサント造りを趣味にしている友人宅を訪ねると、使い終えた樽が庭の池にぷかぷかと浮かんでいた。「次に使うまで木を休ませるんだ。水に浸して、ひび割れを防ぐためだよ」と教えてくれた。そんな地道な手入れも、このワインを支える大切な仕事だ。
Vin Santoとは、直訳すると「聖なるワイン」。由来には諸説あるが、1300年代にはすでに存在していたとされ、中世の修道院でミサの儀式に用いられたという説が有力だ。また、疫病が蔓延した時代、修道士が陰干しブドウから造った甘口ワインを病人に与え、癒しの助けとしたという伝承もある。
また長い時間と手間をかけて造られるその工程自体が、「神聖」と呼ばれるに値すると考えられともいわれている。
食後にしかけられた、甘い罠
話を食卓に戻そう。ヴィンサントで胃袋をなだめようとしたのも束の間。私の目に、なんと山盛りのビスケットが置かれた。家の主は「浸して食べてみて」とすすめる。トスカーナ名物のアーモンド入りビスケット「カントゥッチ Cantucci」 だった。
ひとつだけ、のつもりだった。しかし、香ばしいカントゥッチは、蜂蜜やナッツを思わせるトロリとした風味のヴィンサントと相性があまりにもよい。浸してはひと口かじり、そしてまたひとつ手を伸ばしては浸す。そして、グラスが空けば当然のようにヴィンサントが注がれる。『やめられない、とまらない♪』は、スナック菓子の広告コピーだが、まさにお酒とお菓子の無限ループのはじまりだった。
気づけば私の頬は赤く、気分はすっかり上機嫌に。干したブドウから造られたヴィンサントは糖度が高く、実はアルコール度数も15%前後もある。それに合わせるカントゥッチが、別名「酔っ払いドルチェ」と呼ばれるゆえんだ。
「もうドルチェは無理とか言ってたのは誰だっけ?」。そう笑われながら、気づけばグラスはまた満たされている。ヴィンサントとカントゥッチは、食事を締めくくるものではなかった。ひたすら会話を弾ませ、人と人との距離をさらに近づけてしまう。そんな力を持った、甘く危険な組み合わせなのだ。